思い出のクリフォードのこと [本・音楽]

 友人のグラフィック・デザイナーの日下潤一さんの後を継いで赤波江春奈さんが社長になったビー・グラフィックスが出している「オリジナリ」というフリーペーパーに「思い出のクリフォード」というコーナーで絵と短いコメントを載せています。日下さんに、外国人でも日本人でも好きなミュージシャンのポートレートを描きませんか、と言われ面白そうなので始めてもう5回になりました。せっかくなのでそのページをそのままここに載せることにしました。「オリジナリ」では他にも作家の関川夏央さんや脚本家の西岡琢也さんのコラム、イラストレーターの伊野孝行さんの映画の話などの連載や毎回の特集ではグラフィックデザインのいろんなことが載っています。そう言えば僕が初めてミュージシャンの絵を描いたのは22、3歳の頃、日下さんが出していたミニコミ紙に描いたアメリカのロックバンドのザ・バーズやったことを思い出しました。
興味のある人はPDF版
https://bgraphix.com
のメニューから「Originally」で見ることができます。

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ということで今回のBGMは中川イサトさんの ’プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3’ です。


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ちょっと仕事の話と散歩の途中 ㉓ [散歩]

  スポーツ報知の「すみだ地域コミュニティー紙」第3号が出ました。今回のテーマは墨田区の駄菓子屋さんということでいつも散歩で歩いている「キラキラ橘商店街」を駄菓子っぽく描きました。「散歩の途中」と「ちょっと仕事の話」の合併です。

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 私にはいくつか散歩コースがあります。そのひとつが鳩の街から東向島(玉の井)へ行くコースです。このコースは永井荷風の小説「濹東綺譚」や滝田ゆうの漫画「寺島町奇譚」の舞台になった所です。今では小ぎれいな住宅が立ち並んでいますが道の曲がり具合や路地の込み入り具合は昔のままです。もうちょっと頑張って土手の上まで行くと荷風が好きだった荒川の荒涼とした風景が見られます。そこから八広の街を抜けて明治通りに出ると「キラキラ橘商店街」が見えます。この商店街には佃煮屋や総菜屋におでんの具だけ売っている店とか散髪屋や本屋さんもあって懐かしい昭和の雰囲気が残っています。ちょっと前には老夫婦がやっていた、コッペパンだけのパン屋さんがあつたけど閉めてしまった、と思ってたら最近その場所で若い人がパン屋さんを始めたみたいです。そういえば前はシャッターがしまってたところにギャラリーができていたりして若い人たちが入ってきてるようで楽しみです。500メートルたらずの商店街の外れに今も駄菓子屋さんがあります。休みの日なんかには子供らが集まって店の中に入ったり出たりして楽しそうに遊んでいます。そこから十間橋通りを渡ったところに、たしか前は刃物の研ぎ屋さんやったところに新しいビルが建っていた。見ると一階の窓に瓦ぶきの庇が出ている、寿司屋か和食の店やろか、と思って入り口を見ると大きな木の看板に「押尾川部屋」と書いてあった。わぁ、家の近所に相撲部屋が出来るなんてめっちゃおもろいやん。調べてみると押尾川部屋の親方は元関脇の豪風で力士では矢後(やご)という人が幕下にいるようです。せっかく近所に出来た相撲部屋なんでこれから応援したいと思います。しかし幕下やとまだテレビ(地上波)では見ることできないんかなぁ、これからが楽しみです。

 こちらはその原画です。
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ということで今回のBGMはマイケル・ジャクソンの ’ オフ・ザ・ウォール ' です。どない?



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ちょつとだけ仕事のこと [本・音楽]

 50年も前から活動しているというアーリータイムスストリングスバンドの新作アルバム『どんぐりころころ』のジャケットの絵を描きました。50年前からずっと変わらない5人のメンバーの人たちです。
12月29日には下北沢の440でCD発売記念ライブもあるそうです。
お問合せはホイホイレコード oshiete@hoyhoy-records.com 電話090-6026-5081

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 僕が初めてレコードジャケットの絵を描いたのは48年前の1974年の西岡恭蔵さんの『街行き村行き』というアルバムでした。初めてのレコードジャケットで、それも大好きな西岡恭蔵さんのアルバムやということでめちゃくちゃ緊張したのを覚えています。こうやって並べて見ると50年近く経ってるのにあんまり変わってないのがええのやらあかんのやらわからなくなります。

西岡恭蔵「街行き村行き」表.jpg

西岡恭蔵「街行き村行き」裏.jpg

今日のBGMは
https://www.youtube.com/watch?v=oUSeW-eK2fk
アーリー・タイムス・ストリングス・バンド/僕の家










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デッド・ベア [日常茶飯事]

 
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 これは60年代からずっと米国西海岸はサンフランシスコで活躍するロックバンド、グレイトフル・デッド(Grateful Dead) のマスコットのデッド・ベアのキーホルダーです。20年くらい前、グレイトフル・デッドのメンバーのフィル・レッシュがソロアルバムを出したときに、なんかおみやげでつけたらええのんないかな、といって付けられていたものです。当時その企画に参加してた友人のKくん(今は某レコードの社長兼パシリ)が、ようけあるんであげますわ、と言って3、4個くれました。僕がこれを携帯のストラップにしてGパンのポケットから覗かせてると、女の子(おばちゃんやけど)に、わぁ〜可愛い!なんて言われるんで、いい気になって、ほんま?家にまだあるから今度逢うた時にあげるわ、と言うたり、どっかで落としてしまったりしてこれが最後のひとつです。先日そのKくんに会ったとき、えっ、まだそれ持ってはるんですか? と聞かれたので、そうやで、もう首の襟巻きもないし、足の裏の肉球もないし耳も折れ曲がってるし、頭の上のフックも自分で付け直してんで、と言ったら、家にまだある思うんで探しときます、今度会うときに持って行きますわ、と言ってくれました。

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 それから暫くしてKくんに会ったときほんまに透明の袋に入ったデッド・ベア を持ってきてくれた。首の襟巻きもついてるし足の裏の肉球もあるしフィル・レッシュ・アンド・フレンズのラベルもついてる、これがほんまのデッド・ストックや。
 今はこの新しいデッド・ベアをガラケーに付けてます。巷では、ええ加減なやつやでぇ、と言われてるそうなKくんですが、ホンマは律儀な人なんです。

ということで今回のBGMはグレイトフル・デッドのアルバム「ライブ/デッド」から ' デス・ドント・ハブ・ノー・マーシー ’です。10分以上続く長〜い曲です。

P.S. この絵を描いてる時はまだガラケーやったんですけど、僕のガラケーはあと1年ぐらいで使えなくなるらしいので、どうなるんやろと、聞きに行った家電量販店のかわいい女の子に、どうせ使えなくなるんですから、10月いっぱいのキャンペーン中に買い換えた方がめっちゃお得ですよ〜ん、とかなんとか言われてその気になって、いまは四苦八苦です。


          
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過ぎゆく夏の思い出 2022 [日常茶飯事]

 あんなに暑かった夏もやっぱりすぎて行ったみたいです。プロ野球もレギュラーシーズンが終わり我が阪神タイガースもなんとか3位(成績は情けないが)にとどまりこの後クライマックスシリーズに挑み、運がよければ夢の日本シリーズにもいけます。ほんま、夢やけどね。
 過ぎゆく夏の思い出といえばなんとなく甘酸っぱいものを想像しますが今回の思い出は、ちょっとほろ苦い話です。前回のブログでも書いたように私には新たにスポーツ報知コネクションができたのだ。おかげで8月3日、4日の巨人ー阪神戦のチケットをゲットすることができた(バンザ〜イ)。それも2日とも同じバックネット裏の前から8番目の席である。ホームベースはすぐ目の前である。通路を挟んだ隣にはタイガースのスコアラーらしきおっさん達が4、5人カメラを立てて陣取っているような場所である。後ろの席には短パンでごっつい体で強面のおっさんが若いねーちゃんを連れて座っている、わぁ、恐そうやなぁ、変なこと言うたらやばいんちゃう?と一緒に行ったK君と話してたら、隣のタイガースのスコアラーのおっさんが、その強面のおっさんに、あっ、どうも、みたいな感じでぴょこんと挨拶をしたのできっと有名な元プロ野球選手に違いない。マスクをしているので誰かはわかりません。そんな興奮する席で巨人ー阪神戦を見られるなんて、最高でした。結果は3日が1−2でなんとかタイガースが勝ち、4日は7−0でタイガースがボロ負けしました。しかしこれだけが夏の思い出ではありませんでした・・・。それは4日の試合の時に起きました。

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 東京ドームに来たのは15、6年ぶりでした。開場時間の午後4時に着いたらもうたくさんのファンの人たちでいっぱいでした。ジャイアンツファンはもちろんタイガースファンもたくさん来てます。タイガースファンは全国どこの球場でもいっぱいいてるのが不思議です。

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 ワクワクしながら球場の中へ入ると目の前に明るいグラウンドがパーッと広がり、席に座るともう目の前でタイガースの選手たちが練習をしているのが見えました。あっ、近本や、大山も佐藤もいてる、ロハス・ジュニア.、ロドリゲスは大きいしかっこええなぁ、おお、矢野監督はひとりで腕組みしてなんか作戦練っとるんかな、頼むでほんま、とかなんとか言うて興奮してしまいす

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 試合はタイガースのウィルカーソン投手がボコボコに打たれ、打線はジャイアンツの山崎なんたら言う投手に手も足も出ない展開でした。そんな8回表のタイガースの攻撃の時、ロドリゲスの打ったファールボールがバックネットを越えて僕の隣のタイガースのスコアラーのところに落ちて来た。わっ、と近くのみんなの目線が白いボールに。と、そのスコアラーはボールを拾って僕の目の前に差し出した。えっ、ええのん、ありがとうございます、と言うて受け取りました。その真っ白いボールは想像してたよりも小さく、柔らかいように思いました。これは、もう奇跡や、嬉しい、一生の宝や!言うて喜んでいた。するとどこか天の方から『そんなん、こどもにやったらええのに〜』と言う声が聞こえた気がしました。えっ、そうなん、僕がもろたらあかんのかなぁ。

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 ちょっと迷ったけど仕方なく、親子で「ファールボール飛んで来たらこうやってキャッチするんだね」とずっと喋っていた前の席の子供にあげることにしました。その子は「ありがとうございます、一生の宝にします」と言ってめちゃくちゃ喜んでました。この子の一生は100歳としてあと85年近くある、僕は25年ほどやから(100歳まで生きる気かい!)まぁ、ええことにしました。

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 しかし、欲しかったなぁ、あの真っ白なボール、一生の宝やで、ほんま!あの時、天から聞こえて来た声さえなければなぁ・・・。その時「それ、言うたん僕ですわ」と一緒に行ったK君が言いました。お前やったんかぁ、まぁ、ええわ、ええことした気分やし。「そうですよ、周りのみんな、ええじじいやなぁ、言うてますよ」ほんまかぁ?とかなんとかあほなこと言うてる時、ボールをあげた子供のお父さんがこっちを振り向いて「これ、美味しいんですよ、どうぞ」と言って小さい袋をくれました。それは、でん六の海味鮮と言うお酒のおつまみでした。わあっ、ありがとうございます。と言ったけど、僕らふたりともお酒飲めないんです、とはいいませんでした。

今回のBGMは宇多田ヒカルのアルバム「ファントーム」から’人生最高の日’です。4万人近い観衆の中でファールボールを手に入れることができるのは何人くらいなんやろ。僕の人生最高の日はどっかのこどもにあげてしまったけど、まだこれからあるのやろか。



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そうや銭湯へ行こう! [日常茶飯事]

 久しぶりのブログやのにまたまたスポーツ報知地域コミュニティー紙の話です。前回の創刊号から3ヶ月たって第2号である。その間といえば、ずっと続くコロナ禍と猛暑のせいでほとんど人にも会わず、趣味の散歩も我が身の安全を考えて自粛してたので書くネタが何もありませんでした。まぁ、本当は二つ三つ描きたいことはあるのですが、根っからのズボラが出てしまいサボっておりました。このあと頑張って描きますので引き続きよろしくお願いします。

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 第2号はテーマが「銭湯」ということなので久しぶりに銭湯に行って来ました。家から歩いて10分ほどのところにある「大黒湯」です。僕の住んでる墨田区にはまだまだたくさん銭湯が残っています。そんな中でも「大黒湯」は露天風呂がありスカイツリーも見えることで有名やと教えてもらいました。8月の半ば、暑い日の夕方に行って見ると、入り口付近には若者やカップルが数人たむろして銭湯の屋根越しに煙突とスカイツリーが並んだ写真を撮ったりしてました。なるほど「映え」ちゅうやつか。
 靴を下足箱に入れて番台ならぬ受付けに行くと美熟女に、下足箱の札を、と言われたので渡し、入浴料500円と貸タオルセット(バスタオル・フェイスタオル)50円を払うと鍵のついたゴムの輪っぱを渡された、うん?。そして脱衣所に行き、どこで着替えようかなと思って鍵のついたままの棚を開けようとしたら、「そこ、オレんのだよ!」と後ろの縁台に座ってたおじいさんに怒られた。「その鍵に番号がついてるだろ!」もらった鍵をみると18という番号が書いてあった。そういうシステムか、えーっと18番の棚はどこにあるかな、とキョロキョロしてると「そこだよ!」とさっきのおじいさんが指差して教えてくれました。いい人である。
 普通のお風呂でひと通り体を洗い、露天風呂に入って空をみながらまったりしていた。露天風呂に浸かりながらではスカイツリーは見えませんでしたが横のウッドデッキのところからは煙突とスカイツリーが見えました。銭湯に来たのに露天風呂に入れたので温泉気分で気持ちよかったです。帰りに自動販売機で「懐かしのミルクコーヒー」いうのを買って飲みながら家に着いたら、あちゃー、もう全身汗びっしょりでした。今年の夏はホンマ、暑かった。

ちなみにこの絵はフィクションです。「大黒湯」を参考にして描きましたが実在の銭湯ではありません。

今回のBGMはビーチ・ボーイズで ’ オール・サマー・ロング ‘ です。暑かった夏も終わりそうでよかったけど、ちょっとさびしい気もする9月です。

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ブログやっててよかった! [日常茶飯事]

 このブログを始めてもう11年になります。特に何も決めずに好きな時にどうでもええ、メクソハナクソ(MEXOS-HANAXSO)みたいな絵と文を描いてきました。こんなん描いて、誰が見てんねん、などと厚かましいことは考えていませんが、仕事の合間に(今は合間ばっかりやけど)なんか描く場所があったほうがええかなとのんびり続けている今日この頃です。
 そんな5月のある日、突然、報知新聞のSさんという人からメールが届きました。
「いつもブログを楽しく見てます。この度スポーツ報知本社が両国へ移転することになり、両国周辺、墨田区を対象にコミュニティー紙を創刊することになりました。つきましてはその第一面に森さんのいつものブログの感じで絵を描いてもらえませんか」と書いてある。えっ、ほんまやろか、確かに隅田川に架かる両国橋や近所の散歩の話を書いてるけど、あんなゆる〜い絵と文やで、偽メールちゃうやろか、と思ってしまいました。確かめたらメールは本物でした。
 そしてSさんと会って話をするとどうも本気らしい。「森さんの絵で両国周辺や墨田区の良いところを伝えられたらと思っています。森さんはタイガースファンですから(ん、この人は僕のブログをすみからすみまで読んではる)タイガースの宿敵、読売ジャイアンツの言わずと知れた仲良し新聞であるスポーツ報知に絵を描くのには抵抗があるかもしれませんが、その辺も書いてもらったらいいです」とそんなん言われたらもう断られへん。まぁ、はじめから引き受けるつもりでしたけど。ああ、ブログやっててよかった。

           ということで出来たのがこの絵です。
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 そして実際に新聞になったのがこれです。スポーツ新聞らしい文字の入れ方やレイアウトが今までになかった感じで新鮮です。2面では今回の絵の製作工程やブログの絵とかも載っています。4面には畏れ多くも墨田区出身の元読売ジャイアンツの王さんの話も載っています。
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 今日のBGMはジョン・コルトレーンの’ジャイアント・ステップス’です。そのまんま読売ジャイアンツにかけて選んだけど、この仕事が僕にとつてのジャイアント・ステップス(大いなる一歩)になるのか?ちょっと遅いかな。


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テレビ三昧 その⑥ またまたまたプレミアムシネマ [日常茶飯事]

 終わりのない夏はええけど、終わりそうで終わらないコロナ禍はもうゴメンである。しかし最近は、不要不急とか外出自粛とか三密(壇蜜はええけど三密はあかん!言うてたのも今は懐かしい)とかの言葉はあんまり聞かんようになってきたので、そろそろ終わりが近いのかもしれない。甘いかな?。それで相変わらずテレビ三昧の日々が続いています。

 先日はBSプレミアムシネマで「突破口!」(1973年・アメリカ 監督ドン・シーゲル)を観ました。映画はニューメキシコ州の小さな田舎町で遊ぶ子どもたちのほのぼのとした日常風景から始まる。そこへ夫婦が乗った一台の車がすーっと銀行の前に停まる。パトカーから警官が近づいてきて、ここは駐禁やでと言う。すると足を怪我してて小切手換金するだけやからとギブスをはめた足を見せる。ほんならちょっとだけやでと警官は見逃してくれる。ドライバーの嫁さんを残してギブスの男(ウォルター・マッソー)が銀行へ入って行く。先に入っていた仲間と支店長を脅し警備員を殺して金を奪い逃走する。もう、ここまでで最高にかっこいい。彼らは田舎町の小さな銀行ばかり狙うケチな強盗なんですが、今盗んできた金が田舎の銀行ではあり得ない大金でびっくりします。実はこの銀行はマフィアの隠し金庫だったのです。と言うことで彼らは警察とマフィアの殺し屋(ジョー・ドン・ベイカー)の両方から命を狙われることになります。ここから最後のどんでん返しならぬでんぐり返しまで息もつかせぬ111分です。何回も観てても面白かったです。

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 もう一本は「ジェシー・ジェームズの暗殺」(2007年 アメリカ 監督アンドリュー・ドミニク)です。この映画もやはり強盗の話ですが、こちらは合衆国史上もっとも有名なアウトロー、ジェシー・ジェームズ(ブラッド・ピット)と彼に憧れる20歳の若者、ロバート・フォード(ケイシー・アフレック)の話である。ジェシー・ジェームズは誰になぜ暗殺されたのか?がドキュメンタリータッチで静かに明かされていく。風景は美しい、西部劇なのにドンパチはほとんどない、俳優陣の抑えた演技、最初はなかなか入り込めなかったが最後の方は俗っぽい話になって面白く見ました。それにしても160分は長いと思いました。
          
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           今回のBGMはロス・ロボスの ’ アリゾナ・スカイ’ です。


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散歩の途中 ㉒ [散歩]

 いつもこのブログを見てくれてる人から、最近は絵がパラパラしてるのが続いてますね、と言われた(パラパラってなんやねん)。まあ、物とか橋とかぎょうさん描いてたからね。ということで久し振りに風景を描いてみることにしました。というても僕が描くので相変わらずパラパラですけど。
 ちょっと前のブログで隅田川に架かる橋をざっくり描きましたが、僕の住んでる押上辺りには他にも大横川、北十間川、横十間川、旧中川など小さな川(運河)がいくつもあります。そんな中でも旧中川は空が広くて川面とも近くて気持ちがいいので好きな散歩コースです。スカイツリーができた頃、この川沿いを散歩してるとき、1枚目の絵のところではスカイツリーは僕の左肩の後ろの方に見えています。そのままぶらぶら川沿いを15分ぐらい歩いて3枚目の絵のちょっと先に行くと、あら不思議、左後方に見えてたスカイツリーが左前方に見えるじゃ、あーりませんか!どうゆうこと?なんか狐につままれたみたいな気分です。そしてしばらく考えてわかりました!この旧中川は蛇のようにグニャグニャ曲つているのだ、そしてスカイツリーは634mとめっちゃ高いからでした。なんかあの、実際は4本の煙突が立っているのに見る場所によって3本に見えたり2本に見えたりするという「おばけ煙突」を思い出し、僕はこれを「おばけツリー」と呼んでます。僕だけですけど。

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 ここから僕の旧中川散歩が始まります。川沿いの道はきれいに整備されてジョギング用の距離の数字も書いてあります。こちら側は墨田区で対岸は江戸川区です。


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 ここはこのコースのいちばんのお気に入り。前にも描いたことがあるなんかの倉庫みたいで、今回は正面から。このトタンのサビ加減がたまりません。もうひと棟あったのは取り壊されてしまったようです。ここもそう長くはなさそうです。

そういえば家の近所にもいまだにトタン壁の建物がいっぱいあります。以前、紙粘土でなんか作ろう、というテーマのグループ展に参加した時に作った「トタンの家」を参考までに貼っておきます。

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 次は前方に見える墨田清掃工場の煙突がダントツです。なんと200m以上もあり都内一だそうです。ここからもう少し行けば荒涼とした荒川に出ます。

 てなわけで今回のBGMはジミー・クリフの’メニー・リバース・トゥ・クロス’です。

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古い話で、申し訳ないっす! [日常茶飯事]

 相変わらずコロナに関係なく家の中でぶらぶらしてることが多い。僕はあまり物を買ったり、集めたりしないのですが、それでも家の中にはいろんなもがあります。ほとんどはただ捨てられずに置いてるだけのものです。(その最たるものは、二度と使うことはないと思われる木版画の版木です)。そんな中から、とくに思い入れや愛着がある訳でもないけれど捨てられずに置いてるものとか、まだ現役で使ってる古い物とか描いて見ようと思いました。(散歩はいつも同じところやし、遠くにも行けへんし、テレビも今は描く事ないし、仕事もしてへんし。)

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 まずはキンツレの置時計、これはものごころついた時には家にあったのでもう少なく見積もっても65年以上前のものです。今でもゼンマイを巻けば動くと思いますがずっと前から使ってません。この時計はウエストミンスターの「キンコンカンコン〜」という鐘の音が15分ごとに増えていき最後に時刻の数だけ「ボォーン、ボォーン」と鳴ります。子供の時にはうるさいなぁ、と思ってました。特に大事にしていた訳でもないので埃まみれやし、ゼンマイ巻く時に開けるガラスの蓋の留め金が壊れてるのでちょっとした揺れで勝手に開いてしまいます。少し前に近所の古道具屋のおっちゃんに「こんな時計あるんですけど」と聞いたら「一度持ってきて、それからだね」と言われたけど、めんどくさいので結局今も家のタンスの上でホコリをかぶっています。

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 ソルベントディスペンサー。1970年代はじめ、グラフィックデザインの版下などを作ってた頃、ペーパーセメントで貼った写植(今も使ってるのかな?)を剥がしたりする時に使ってました。中にシンナーが入っていて、写植を貼り間違えたりした時に紙と写植の間にこれの先っぽを当てて底をペコペコ押すとシンナーが出て写植をきれいにはがせて、また貼り直せます。今はシールを剥がしたり、汚れを取ったりする時に使ってます。ときどきひょこっと現れるゴキブリにペコペコかけてやるとあっという間にゴロンと昏睡状態になりよります。ちなみに22という数字は僕がいたずらでインスタントレタリング(今もあるのかな?)を張ったもので、当時ファンだった阪神タイガースの捕手、タブチくんの背番号です。

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 1988年ごろ、東京で暮らし始めた時に買ったサザビーのバッグ。幅25センチぐらいの小さなバッグで便利なので今もカメラや手帳を入れたりして使ってます。何年か前、下北沢の飲み屋兼ギャラリーのオーナーの女性と話している時、彼女が急に「懐かしいわぁー、そのバッグ、わたし、昔サザビーのデザイン部にいたのよ。まだ使ってくれてるのー、嬉しいわぁー」と言われた。

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 シチズンの目覚まし時計。 1976年に私たちは嫁さんの実家で結婚式を挙げた。大阪から参加したのは僕と兄夫婦と仲人夫妻だけでした。式は教会でもなく神前でもなく仏前でもなく、彼女の家で親戚一同が集まり小さな子供達に引かれて嫁さんが部屋に入ってきて、どこかのおじいさんが何か歌を唄い、三々九度をするという昔ながらの結婚式でした。その後は隣の料理旅館で大宴会でした。この時計はその時に嫁さんのおかぁさんが引き出物として用意してくれたもので、ひとり大阪で世話になった友人に渡すつもりがうっかり忘れてしまいそのままずーっと我が家にあります。今はもう動きません。

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 1974年ごろ、兄が住んでいたアメリカのロサンゼルスに行った時、兄が「今、俺ら(ロスの映画の大道具の人や、アーティスト)の間で流行ってる靴があんねん、お前も買うといたらええねん。」と言って連れてってくれたのはおしゃれな靴屋ではなく、日本で言うところの荒物屋みたいなところでした。バケツやスコップや作業服が置いてあるところにこの靴があった。要するにワークシューズで、くるぶしの上の方までキュッと締められるので、砂利やゴミが入らんようになっています。もう、45年以上経っているのにまだ履けてます。さすがに底は10年くらい前に交換しました。

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 ぼくのオカンがまだ元気やった頃、編んでくれたマフラー(夜なべはしてへんと思うけど)。たぶん、50年以上前です。今年の初詣でおしゃれな白に赤と紺のラインの入ったマフラーをしていこうと思ったらヨメさんに「派手やなぁ〜、もうちょっと違うのんにしい、ほれ、オカンのアレ、アレにしとき。」と言われた。まだまだ現役やで、オカンのマフラー。(オカンは45年前になくなっているけど)


と言うことで今回の古い話ばっかりついでです。ぼくが初めて買ったレコードはケネディ大統領の有名な「アスク・ノット・ワット・ユア・カントリー・キャン・デュ・フォー・ユウ(おおてるかなぁ)」と言う演説をバックにミッチ・ミラー楽団が合唱してるドーナツ盤です。なんでそんなん買ったのか覚えていません。当然もうとっくにない。中学生の頃、姉が持ってたクリフォード・ブラウンの3枚組箱入りのレコード、ブラウニーなんとか言うのん聞いてかっこええなぁ、と思ったのを覚えています。それも今はないので、今回のBGMはスタン・ゲッツの ' アイ・リメンバー・クリフォード 'にします。


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