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2024 春一番ポスター

 今年も5月の3日,4日,5日に開催される大阪の伝説の野外コンサート「春一番」のポスターの絵を描きました。毎回どんな絵にしょうか悩むのですが、今年はふと、反戦をテーマに僕なりの絵が描けないかな、と思いました。でも「NO WAR」とか描くのは嫌やしなぁ、と迷ってたので、ずっと一緒にポスターを作ってきたグラフィック・デザイナーの日下くんに、反戦みたいなんテーマにしたいねんけど、どうやろ、と相談したら、ええんちゃう、ウクライナの草原に花とかどない?、あのアメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーの有名な反戦歌「花はどこへ行った」の原曲はウクライナの民謡らしいし、と教えてくれました。それはええなぁ、と思い草原に花を描くことにしました。それでなんの花にしようかな、バラとか、ヒマワリとか、タンポポもあるな、といろいろ調べてたらポピー(ひなげし)がヨーロッパの方では平和のシンボルみたいに書いてあったのでので、赤いポピーを描くことにしました。僕なりの反戦ポスターです。

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           コンサートに興味のある人はこちらから。
           https://www.haruichientertainment.net    

 今回のBGMは春一番のポスターのデザインをしている日下潤一+赤波江春奈さんがデザインをしている沢知恵さんのニューアルバム『花はどこへ行った』から
「花はどこへ行った」(ピート・シーガー 詩・曲 / 忌野清志郎 日本語詩)です。




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カバーの絵を描きました。『放浪・雪の夜』織田作之助傑作集(新潮社刊) [仕事]

 織田作之助といえばやっぱり『夫婦善哉』である。小説も何度も読んだし、森繁久彌と淡島千景主演の映画も何度も観ている。この時の森繁久彌の大阪弁はええなぁ〜。織田作之助には他にも面白い小説がたくさんあります。・・・落ちぶれて大阪から別府へ流れてきた男と女、雪の降る大晦日の夜に男は露天の易者をしている。そこで大阪時代の知り合いの男と偶然出会う。知り合いの男は成功してお金持ちになって女連れで別府に遊びにきていた。5年ぶりに会ったので女も連れて珈琲を飲みに行くが、たいした話もないのでその知り合いの男は、大阪は変わったぜ、地下鉄出来たん知ってるな。そんなら、赤玉のムーラン・ルージュ(赤い風車)が廻らんようになったんは知らんやろなどという・・・・「雪の夜」など11編の話が収録されています。泣けるぜ。ということで昭和10年代の戎橋を描きました。


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           こちらは原画です。
           新潮文庫『放浪・雪の夜』カバー原画.jpg


 ぼくも大阪から東京に流れ落ちてはや35年余り、いまだにしがないイラストレーターであります。てなわけで今回のBGMは大阪の友人、金森幸介 with 有山じゅんじの「大阪も雨に沈んでいるかい」です。泣けるぜ。
        








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スポーツ報知「すみだ地域コミュニティー紙」6号 [仕事]

 スポーツ報知の「すみだ地域コミュニティー紙」6号が出ました。今回は特集が向島の芸者さんと言うことなので隅田川と芸者さんとちょっと早いけど桜をテーマに絵を描きました。紙面の文章は読みずらいと思うので原画と文章をそのまま一緒に載せます。僕の文章では「芸者さん」と書いていますが紙面では「芸妓さん」になっています。これは芸者さんの組合や墨田区観光課などで「芸者」さんではなく「芸妓」さんと言う呼び名が使われているために変えられています。芸者さんの方が可愛んですけどね。

           スポーツ報知「すみだコミュニティー紙6号原画.jpg

 あっという間に年が明けてしまいました。年々時間がすぎるのが早くなっていくような気がします。今回の特集が「向島の芸者さん」ということで、昨年の11月にたくさんの芸者さんたちが三味線や笛や太鼓や唄に合わせて踊る「向島をどり」を鑑賞しました。舞台の上の艶やかに踊る芸者さんたちもよかったのですが、私は観客の中にたくさんいてはった芸者さんらしいお姉さんたちの着物の着こなしや髪型、身のこなしなどに魅了されました。芸者さんをこんなに間近で見るのは初めてで、私のようなしがないイラストレーターには所謂「お座敷」の経験などないし、たまに散歩の途中で、あっ、芸者さんや、というくらいなのでとてもリッチな気分になりました。そういえばコロナ禍になる少し前に隅田川の「墨堤さくら祭り」の時に向島の芸者さんたちが「芸妓茶屋」を出しているのを見たことがあります。その時は人がいっぱいだったので素通りしましたが今年もしお店が出ていたら入ってみようと思いました。
 そういうことで今回の絵はちょっと早いけどもうすぐやで、と桜と芸者さんと隅田川を描くことにしました。参考になればと思い隅田川と桜というテーマで検索すると江戸時代には北斎に広重、明治になると小林清親とその弟子でわずか25歳で亡くなった井上安治(杉浦日向子の漫画『YASUJI 東京』のモデルの人)などたくさんの絵が残っています。それでも絵を描くためには墨堤通りを見といたほうがええかなと思い散歩がてらに出かけました。すると言問団子の店の前に一本の古そうな大きな桜の木があり、その先は今は堤防で見えないけれど隅田川で、横の道はゆっくり左に曲がっている。あれっ、この景色の感じは見たことがあるぞ、と思い家に帰ってから調べて見ると井上安治の「向島 桜」という題の木版画でした。背景の感じは違うけれど桜の木と道と隅田川の構図がこの場所に違いないと確信しちょっと嬉しくなりました。

            すみだ1月号1面(最終版)のコピー.jpg


 それからうっかりしてブログに載せるのを忘れていましたがスポーツ報知「すみだ地域コミュニティー紙」の5号も出ていますので載せます。

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 私が世田谷区の経堂から墨田区の押上に住むことになったきっかけは、もうちょっと安くて広いところ(自宅兼仕事場)に引っ越ししたいなぁと、ネットで調べていたら向島の見番通り沿いに、ちょっと古いけど広くて安いところが見つかった。グーグルのストリートビューで見たら通りをひとつ渡ると隅田川で近所の風景も懐かしい感じでええなぁ、と思いました。
 早速、小田急線と東京メトロ半蔵門線を乗り継いで錦糸町の部屋探しのチェーン店までいきました。出てきたSMAPの中居正広風の兄ちゃんに、あの部屋見せてもらえますか?と聞いたら、あれは見せられません、と言う。なんで?といくら聞いても教えてくれません。代わりの物件ばかり勧めてくるので、もぉ、ええわ、と店を出ました。せっかくなので錦糸町の地元の不動産屋があったので入って事情を説明したら、向島あたりのいくつかの物件を案内してくれました。その中のひとつは向島の料亭街にある元料亭で、部屋はリノベーションされ広さも十分で間取りも面白かった。男子トイレがあって用を足すところも2個並んでいた。かな乗り気になったけど、ただひとつ元料亭だけあってベランダが無いので洗濯物を外に干せないのである。結局そこは諦めて今の押上の懐かしい雰囲気の残る十間橋通り商店街沿いのマンションに決めました。窓から見えるスカイツリーは当時はまだ半分くらいでした。
 ここから隅田川や浅草方面に散歩に行く時に向島を通ります。夕方なんかには着物姿の芸者さんが歩いていたり昭和30年代からある季節の生ジュースとくるみパンが名物の喫茶店(残念ながら今年の7月に閉店)もある。「めうがや」という足袋屋さんもあり、暖簾(のれん)には「御召 足袋」、ガラス戸には「お誂(あつら)え」と書いてある、今どき足袋のお誂えってさすが花街向島です。
 山田洋次監督最新作、吉永小百合、大泉洋主演の映画「こんにちは、母さん」は向島の足袋屋のおかみさん(吉永)と息子(大泉)の話です。映画を見ると足袋屋のセットは「めうがや」そっくりで、実際にここがロケ地でした。せっかくなので近所やし足袋のひとつやふたつ誂えてもええかな思いました。 
 ということで今回の絵は映画「こんにちは、母さん」を懐かしい昭和のポスター風に書いて見ました。

             すみだ9月号1面0827のコピー.jpg


 そんなこんなで今回のBGMはブロッサム・ディアリーが歌う有名なジャズのスタンダードナンバー「イット・マイト・アズ・ウェル・ビ・スプリング」です。春はもうちょっと先ですけど・・・。


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「思い出のクリフォード」⑥〜⑩ [本・音楽]

 もうずいぶん長〜いことお世話になっているデザイン事務所ビー・グラフィックスが出している
フリーペーパー・オリジナリで描いている「思い出のクリフォード」の続きです。
 相変わらずこの小冊子は小さいながらも面白い内容になっています。最新号の特集では昨年亡くなった映画監督大森一樹さんの『映画監督はこれだから楽しい わが心の自叙伝』(リトルモア刊 / 発売中)のデザインのことや大森さんの周りの友人たちの文章も載っています。
 最新号やバックナンバーの記事などに興味のある人はPDF版
https://bgraphix.com
のメニューから[ Originally ]で見ることができます。

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ということで今回のBGMはデューク・エリントン作曲の「イン・ア・センチメンタル・ムード」です。
この曲はたくさんの人が演奏してますが僕はデューク・エリントンとジョン・コルトレーンのが一番好きです。


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散歩の途中 ㉔ [散歩]

 今年の夏はほんまに暑かった。さすがに9月も下旬ともなれば少しはましか、と思ったけど昼間はやっぱり暑い。そういえばちょっと前までは「夕涼み」といって夏の日の夕方、涼しい風にあたりながら庭先やベランダなんかに出てボーッとタバコを吸ったりしてたけど(15年前までは喫煙者であった)、最近はあまり聞かないような気がします。今年の夏なんかは夕方でも散歩しようものなら熱中症の危険があるし、夜寝るときも窓を開けて網戸で寝ようと思っても熱中症の危険があるので老人もクーラーを使いましょう、とか言われる、熱帯夜である。いったいいつ頃から「熱帯夜」というようになったのかなぁ、「夕涼み」と言わなくなった時期と重なるような気がします。ということで珍しく涼しかったので夕方から散歩に出かけることにしました。向島から言問橋を渡り、隅田川沿いを浅草に向かって歩きました。もう空は暗くなり始めています。前方のいつも明るいうちに見ている吾妻橋がびっくりするくらい赤くライトアップされていた。えらい派手やなぁ、外国人観光客向けかいな。

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 たくさんの外国人や日本人のアベック(この言い方古いでぇ、といつも言われる)を見ながら吾妻橋を渡っていると、向こうに見える駒形橋もきれいな水色にライトアップされていました。昼の散歩もええけど夜の散歩もええなぁ(目の悪い私には足元注意やけど)、と思いながら家に帰りました。

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 ということで今回のBGMは麗蘭(RCサクセションの仲井戸麗市とザ・ストリート・スライダーズの土屋公平のブルース・ユニット)の「夏の色調(いろあい)」です。



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3泊4日ダッチョウの旅 [日常茶飯事]

 この前テレビを見てたら、今またホッピングが流行っているといっていた。現代のホッピングは空気圧でジャンプするらしく、スケボーをしてそうな若者がものすごい高さまで飛び上がったり、空中で一回転したりしている。僕が小学生の時に流行ってたのはバネでせいぜい30センチくらいの高さでピョンピョン跳ねるだけであった。それでホッピングをやりすぎると「脱腸」になるでぇ、という噂が流れて、みんなやめてしまった。実際、あの頃「脱腸」になる子がけっこうおって、そんな子に僕らは、「ダッチョや、ダッチョ!」と言って面白がっていた(決してイジメではない)。そんな事を思い出しました。
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 それからしばらくして、お風呂に入ろうとパンツを脱いだら、右の足の付け根の下腹あたりにピンポン球半分くらいの大きさでぽこっと膨らんでいるではないか、なんやこれは!とびっくりしたけど湯船で横になってたらへっ込んでしまった。しかしお風呂から上がるとまたポッコリ膨らんでいる。
 心配で翌日病院に行くと、はい、間違いなくソケイ・ヘルニアです、と言われた。ソケイ・ヘルニア?漢字で書くと「鼠径ヘルニア」。要は足の付け根(ビートたけしのギャグ『コマネチ!』のあの手のあたり)の筋肉が弱ってその間から腸が出てくることらしい。「脱腸」である。これは手術で筋肉を補強するしか方法はないらしく、ほっておくと大変ことになるらしい。そんなに難しい手術ではありません、3泊4日で済みますといわれた。ということで「3泊4日鼠径ヘルニアの旅」に出かけることになりました。


第1夜ーこの日は明日から付ける点滴用の管を差し込む受け口を左手に用意するだけであとは普通に過ごすことが出来ました。看護師さんから、明日からしばらくお風呂は入れないので、入っておいたほうがいいんじゃない、と言われた。それでお風呂に入って、晩御飯(普通のハンバーグ定食)食べるとあとは何もすることはありませんでした。窓の外を赤い京成電車が走っているのやスカイツリーも見えました。
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第2夜ー今日は手術です。麻酔のおかげで全く痛みはありませんが、腰から下の感覚がありません。うとうとしてるまに手術が終わり、ベッドに移す時に看護師さんが、重いね、と言いあってるのが聞こえた。病室に戻っても下半身がが全く動かない、ベッドの上でじっとしてるだけである。オシッコは床上で尿瓶でしてくださいと言われたが麻酔のせいか全く尿意がありません。それでもずっと点滴は続いているので膀胱はパンパンである。仕方なく先生が来てあそこに管を入れて出してくれました。この日は絶飲食でベッドからも動かないように言われたのでずっと天井を見てました。背中が痛い。
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第3夜ーこの日はもう点滴をつけたまま動くことが出来ます。食事も3食出ました。点滴を付けながら自動販売機でコーヒーを買って飲むこともできました。夕方先生の診察があり、問題なしということで明日には退院できます。ところが点滴がずっと続いているせいか30〜40分おきに尿意がして朝まで続いてまともに眠ることが出来ませんでした。翌朝、隣のベッドの兄ちゃんに、夕べは何回もトイレに行って、うるさかったんじゃないですか(この病院は各病室の中にトイレがある)、すいません、と言ったら、全然大丈夫ですよ、と言ってくれた。ちなみにこの兄ちゃんは脊椎にボルトを入れるかどうするかの検査入院であるらしい、僕よりずっと大変である。
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退院の日ー朝食を済ませて午前中には退院です。これからお腹に力の入る動作(自転車)や運動は2週間、重たい荷物を持つことは2か月禁止だそうです。病院からはタクシーを呼んで帰りました(1000円+400円)。というわけで僕の「3泊4日ダッチョウの旅」は無事終了です。今は手術の痕が時々チクっとしますが元気です。今回は入院中なのでBGMは無しです。


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ちょっと仕事の話 [仕事]

 9月に上演されるオペラシアターこんにゃく座のオペラ『浮かれのひょう六機織唄』のポスター・チラシの絵を描きました。こんにゃく座の座付作曲家となった林光がこんにゃく座のために書き下ろしたオペラ第二作目で1975年の初演以来45年ぶりの公演だそうです。
 ストーリーは村一番のモテ男だが遊び呆けてばかりで働かないひょう六。ある時村が凶作で大変なことになる。そこで村人たちは、となり村が機織娘お糸の織り出す布が評判で豊かになっていると知り、ひょう六にその男前でお糸をたぶらかして村に連れてきてほしいと頼む。ということでひょう六は晴れて色仕掛けの旅に出るのであった。これがチラシと原画です。デザインは小田善久さんです。

 浮かれのひょう六・チラシ(サイズダウン)のコピー.jpg

浮かれのひょう六・ポスター原画のコピー.jpg
         
興味のある人は、問い合わせ、申し込み
オペラシアターこんにゃく座 044−930−1720
https://www.konnyakuza.com/produce/


オペラ変身・ポスターのコピー.jpg
こんにゃく座のオペラの絵を描くのは『オペラ 変身』でカフカのポートレートを描いて以来15年ぶりです。これがその時のポスターでデザインは日下潤一さんです。





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バッタもん?ほんまもん? [日常茶飯事]

僕は阪神タイガースのファンである、が熱狂的な、ではない。ハッピも着ないし、贔屓の選手の背番号の付いたTシャツも着ない。小さな虎の絵のシールを手帳やカバンの裏にそーっと貼ってる程度である。それでもキャップぐらいやったら被ってもいいかなと思って2年くらい前、ネットで見つけた黒のタイガースのキャップを1200円で買った。届いたキャップは密封されたビニール袋に入っていた。開けて見るとラベルもついてるし、内側にはタイガースの球団旗みたいなのが縫い付けてあるし、後ろにはNPB(日本プロ野球機構)のマークも刺繍されている。これはええんちゃう、と思って被って見ると後ろのポチポチでいくら調節してもどうもしっくりしない。どうやら帽子が浅いのである。こういうデザインなのか、バッタもんつかまされたのか、わからないままほとんど被ることなく置いてある。
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 今年初めて東京ドームに巨人ー阪神戦を見に行った時、タイガースはボロ負けしとったんでヤケクソでキャップでも買おうと思って売店に行くと、今日はタイガースのキャップはこれしかありません、選手が着用してるのと同じものです、2700円です、と売店のお兄ちゃんが言う。ほんまかなぁ?思いながらLサイズを試着したら丁度やったので買うことにしました。選手と同じものなんで後ろのサイズ調節のポチポチはなくてかっこええし被り心地も良かった(但し選手のには付いているNPBのマークの刺繍は付いていない)。最近は散歩の時やちょっとしたお出かけに被っているが、そんなん被ってたら石投げられるんちゃうん?とヨメさんに言われたけど今の所誰も石を投げてきません。
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 これは20年くらい前に世田谷通りの古道具屋にポツンと置いてあった米国メジャーリーグ、クリーブランド・インディアンスのキャップです。1000円でした。これは後ろのポチポチもなくちゃんとMLB(メジャーリーグベースボール)のマークが刺繍されている。内側には、Authentic Collection とか MADE IN USA SINCE 1920 やサイズなどのラベルが縫い付けてある。本物である。しかしこの球団名は去年からクリーブランド・ガーディアンズに変わってしまいました。いまどきインディアンズではあかんのかな、従ってこのインディアンのマークも今は使われていません、可愛いのに。
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ということで今回のBGMは「六甲おろし」といきたいとことやけどあいにく僕のIPodには入ってないのでここはテキサス・トルネイドズの「アディオス・メキシコ」でどうじゃ。



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スポーツ報知「すみだ地域コミュニティー紙」4号 [仕事]

 スポーツ報知の「すみだ地域コミュニティー紙」第4号が出ました。今回の特集は7月に4年ぶりに開催される「隅田川花火大会」ということで花火の打ち上げを待つ隅田川の屋形船と蔵前橋を描きました。
紙面のコラムは読みずらいと思うのでここに転載しておきます。よかったら読んでください。

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 今住んでいる墨田区の文花に引越ししてから12年ほどになります。その前は世田谷区の経堂に20年ほど、その前は大阪の豊中という所に40年ほど住んでいました。この町に来た当初、スカイツリーは展望デッキの上はまだ工事中でした。近所には川がたくさんありその親分格が隅田川であります。経堂に住んでいた頃は川といえば多摩川くらいしかなく、そこに行くには自転車でも結構時間がかかり坂道もきつくてしんどかったです。しかし今は、隅田川の桜橋までなら歩いても20分くらいで行けます。自転車なら坂道もないのでもっと遠くまで行けるような気がして、ちょっと前、コロナ禍で暇やし隅田川にかかる橋を浅草の吾妻橋から東京湾に向かってスケッチしました。いくら坂道のない川沿いでもスケッチしながらだと時間もかかり往きはよいよい帰りはヘトヘトでした。結局3回に分けて勝鬨橋まで描きました。もう次は東京湾や、というところで中断しています。どの橋も個性的で面白いのですが、僕が特に好きなのは、鉄の鎧のような厩橋、欄干になんか人工衛星みたいなのが乗ってる両国橋、今回ここに描いた黄色い橋桁と長靴みたいな橋脚が可愛い蔵前橋です。
 そういえばコロナで中止になっていた「隅田川花火大会」が4年ぶりに開催されるらしい。ここに引っ越してきた年に隅田川花火大会があると聞いて、ひょっとしてと思い屋上に登ってみるとすでに他の住人のひとたちがビニールシートを敷いて飲んだり食べたりしていました。そんなに迫力満点とは言えないけどちゃんときれいな花火を見ることができました。次の年からはビニールシートを敷いて友人たちと一緒に花火見物を楽しんでいました。ところがある時、ある会社の大きなテレビアンテナが屋上に設置されてしまい、見物スペースがなくなってしまいました。どないしてくれんねん、ずっと中止やったからええけど。さて今年はどうしたらええのかな、隅田川の周辺は人がいっぱいやろからまぁ、屋上の手前の外階段からチラ見することにしよう。


            スポーツ報知「すみだコミュニティー季刊紙」4号原画.jpg

こちらは原画です。やはり新聞に刷られると微妙な色合いなどの再現には無理がありますが、これはこれで、新聞らしい味わいがあって僕は好きです。この原画にしても近所のコンビニでカラーコピーしたもので、原画と同じではありません(最近のカラーコピーはかなり優秀ですが)。ということは画集などで見ている巨匠たちの絵画もできれば原画で見たいものです。そうだ、上野の「マチス展」に行こう!


ということで今回のBGMはグロリア・エステファンの「ミ・ティエラ」です。意味は「私の故郷」らしいです。キューバ音楽で賑やかで楽しく行こう。


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2023春一番のポスター

 今日、2023年4月15日「2023春一番」のポスターが届きました。感無量である。
 2020年、もう最後の「春一番」にするわ、とプロデューサーの福岡風太から電話をもらい、それやったらと、僕は70年代から始まったこの「春一番」という野外コンサートにずっと出ていたけれど今はもう天国に行ってしまったミュージシャンたちが空に浮かんでいる絵を描きました。けれど結局コロナのためにこの年のコンサートは中止になってしまいポスターは幻になってしまいました。あれから3年、今年の1月17日に風太が、今年はやるよ、またポスターの絵頼みます、よろしく、と言ってきた。
これで最後や、とは言わなかった。
 久しぶりの「春一番」の絵をどうしようかなと考えてる時、ポスターをずっと一緒に作ってきたグラフィックデザイナーの日下くんが、もう、ミュージシャンも野外音楽堂の風景もいっぱい描いてるし、直接関係ないけど、阪急電車と曽根の街の風景はどない?と言った。えっ、阪急電車、曽根?面白いかも、と思いました。そこはずっと僕が暮らしてきた町である。が、そんなんで「春一番」の絵としてどう描いたらええねんやろ!と悩んでいる時、ふっと昨年亡くなった中川イサトさんの「プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3」という歌が頭に浮かんだ。そう言えばイサトさんもこの歌の歌詞を書いたKINTAさんも風太もコースケさんや日下さんやたくさんのミュージシャンがこの阪急電車に乗ってたやん。ということで、それからずっと、プロペラさえあれば、プロペラさえあれば・・・阪急曽根駅前から服部緑地公園まで、ひとっとびです、と歌いながらこの絵を描きました。ほんま。

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コンサートに興味あるわぁ、どんな人がが出てんねやろ、行ってみたいなぁ、いう人はこちら。
https://haruichiban2023.jimdofree.com


               これは2020のポスターです。
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今回のBGMもやっぱりKINTAさん作詞、中川イサトさん作曲「プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3」です。このコンビには他にもいっぱいええ曲があり、今回はもう一曲「夕立ち」という歌もずっと聴いてました。



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