犬の話 ③ [昔噺]

コロが死んでしばらく経った頃、父が友人から犬をもらってきました。それは血統書付きのコリー犬の子どもということでした。が、その仔犬は尻尾の先っちょが切れて少し短かった。でも僕と兄はそんなことどうでもいいと思いました。その外国人みたいな可愛い仔犬を見て、名前つけなあかんなぁ、どーする、ジェスいうのんどうやろ、と兄が言うので、ええんちゃう、メスやけど。と言いながら「ジェス」という名前にしました。その名前は当時僕らの間で(たぶん日本中で)人気ナンバーワンだった、アメリカのテレビドラマ「ララミー牧場」の流れ者のカウボーイ、ロバート・フラー演じるジェス・ハーパーのジェスのことでした。うちのジェスはあっという間に僕なんか上に乗れそうなくらいに大きなコリー犬になりました。

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夏の暑い日、兄と僕がジェスを連れて散歩に行くと、収穫が終わって広々とした田んぼのところに来たので、コリーはもともと羊を追いかける犬やからたまには思いっきり走らしたろか、とジェスを放してやりました。大喜びで走り回るジェスを見て、気持ち良さそうやなぁ、よかったなぁ、と話してたその時、なんと、ジェスが田んぼのあぜ道の横の肥溜めにズボッと落ちてしまったんです。ここで知らない人のために「肥溜め」の説明。当時(昭和30年代)の田んぼにはあっちこっちに地面を掘って肥料用の糞尿を貯めておく所が作ってあった。大きな壺を埋めて作ったのもあり「野ツボ」ともいった。夏にはその表面は乾いてカチカチなんでうっかり上に乗ると、ズボッと入ってしまいます。大阪弁で、最悪の目に会うのを「どつぼにはまる」というのはこの野ツボにはまることから来てるかどうかは知りません。その肥溜めにジェスが落ちてしまいよりました。わっ、えらいこっちゃ、どないしょ、と思ってると、ジェスはなんとか肥溜めから這い上がってきたので、僕らは家まで思いっきり走って逃げることにしました。なんか訳のわからんジェスは僕らの後を必死で追いかけてきます。なんとか家までたどり着いたので、庭のホースで水をじゃーじゃーかけて体に付いた汚物を洗ってやりました、という話。

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今回のBGMは ジャンゴ・ラインハルトで ‘ スターダスト’ です。「ララミー牧場」で主人公たちの爺やウィリー役で ‘スターダスト’ や ‘ ジョージア・オン・マイ・マインド’ の作曲者 ホーギー・カーマイケルが出演してたので。



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犬の話 ② [昔噺]

小学5年生の時、父の定年で社宅を出て引っ越しをしました。電車でひと駅のところです。本当なら転校しないといけないのですが、あと2年なので特別に電車通学を許可してもらいました。友だちと離れずに済んだし、毎日定期券を首からぶら下げて電車に乗れるのは楽しかった。ところが学校が終わって家に帰ると近所に友達が一人もいないのでちょっと寂しくて退屈でした。そんな僕を見て、父が犬でも飼うか、と言いました。引っ越した町の駅前の商店街に小さな小鳥屋さんがあり、その店先に小さな檻の中にどっかから拾われて来たに違いない真っ黒な子犬が売られていました。この犬でええわ、とその雑種の子犬を買ってもらいました。名前はコロと付けました。そうそう、コロは200円でした。よく覚えてませんが当時はキャラメル1箱が20円くらいやったみたいですからやっぱり雑種ですね。

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知らない町をコロと一緒に探検に出かけました。引っ越した先は前に住んでたところと同じ市内なのに外れにあるせいかだいぶ田舎のような気がしました。家から15分ぐらい歩くともう田んぼがあり川が流れていました。その川沿いの道を散歩してると、なんか、遠くの方からグオーっという音が聞こえてきて、その音はだんだんと大きくなって来ます。音のする方をみると飛行機が小さく見えます。と思ってたらその飛行機もグングンと大きくなってこっちの方に向かって来ます。そして僕らの頭上スレスレを飛んで行きました。びっくりして僕とコロは思わず首をすぼめました。飛行機は川を越え、その先の田んぼの向こうへ飛んで行きました。そこは伊丹空港で、ここはその滑走路の着陸コースの真下でした。(余談ですがこの川沿いをもう少し南の方へ行くとあの森友学園です)

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ある日、親戚の叔父さん(父の弟)がやって来た時にコロを見て、この犬は四つ目だから縁起が悪い、早くどこかへやったほうがいい、と言いました。しばらくして母が大病を患い、叔父さんは、ほら、やっぱり、と言いましが僕には信じられませんでした。その後、母の病気は快復しました。しかし、コロはわずか3年たらずで死んでしまいました。

今回のBGMは、エディー・リーダーの ’ プレイ・ザ・デビル・バック・トゥ・ヘル ’ です。




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犬の話 ① [昔噺]

ものごころついた時(4歳か5歳か、覚えてる一番古い記憶は幼稚園に行くのが嫌で途中で家に引き返したらオカンにえらい怒られたことです、ってなんとかは双葉より芳しやな)我が家には犬がいた。「ペス」という名前の赤茶色の毛の短い雑種の犬でした。その頃、我が家は父が働いていた会社の社宅に親子6人 (僕は末っ子 )で暮らしていました。その家には結構広い(というても子供の記憶ですが)庭があり、鶏小屋もあり庭には二羽にわとりもいてました。ほんまです。ペスは当時のほとんどの家の犬がそうであったように番犬であった。昼間は犬小屋のそばに鎖で繋がれて、押し売りのオッサンなんかが来ると、ワン、ワンと吠えてくれます。そして夜中には放し飼いにして家の周りの番をしていました(いまこんな飼い方したらえらいことになります)。近所に遊びに連れて行くときも放したままで、途中で野良犬と喧嘩なんかになると大変でした。あの頃は学校の帰り道で犬がさかってるのを見つけるとみんなでいろいろ邪魔をしたったもんです。今思うと悪いことしたなぁ、ごめんやで。子供はほんま残酷やなぁ。

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時々、朝になつてもペスが小屋に帰っていない事がありました。アッ、しもた、今日は第三木曜日や。あの頃、私たちの町では月に一度「犬取り」の日があり、保健所の人が野良犬を捕まえに輪っかの付いた棒を待ってオート三輪で夜の町を走りまわってました。そやからその日の夜は犬を放したらあかんかったんです。まぁ、ペスには首輪に鑑札が付いてるのでその度に保健所に引き取りに行くことになります。ところがある時本当にいなくなりました。どうしたんやろなぁ、保健所にもおれへんし、どっかに連れていかれたんやろか。結局それっきりペスは帰ってきませんでした。その頃、赤犬は食べられるねんてぇ!という噂を聞いた事がありました。ほんまやろか、と思いました。それからしばらくして庭の二羽のニワトリもいなくなりました。これは私たちが食べたそうです。


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ということで今年が戌年やからというわけではありませんが我が家の犬のことを時々書こうと思ってます。ここに書く犬の話はフィクションではありませんが、なんせ僕の記憶の話なので不適切な表現や、間違いがあるかもしれませんがそこんところは大目に見てやってちょうだい!。


そして今回のBGMはエリック・クラプトンのアルバム『安息の地を求めてーThere’s One in Every Crowd』から「メイク・イット・スルー・トゥデイ」です。なんでもこのアルバムのジャケット写真の犬はクラプトンが子供の頃に飼ってた犬らしいので。




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ちょっと昔噺① [昔噺]

兄がバリ島でガンで亡くなりました。ぼくより4歳年上です。兄は20歳過ぎにブラジル丸という移民船に乗って単身アメリカのロサンジェルスに渡りました。そしてカリフォルニアの美術大学に留学して26歳の時に卒業して日本に帰ってきました。その頃ぼくは、イラストレーターになれたらええなぁ、とぼんやり考えながらデザイン事務所の見習いで働くのですが、3ヶ月くらいすると、やっぱり才能ないわ、と思って辞めてしまいます。そして3ヶ月くらいブラブラして、またやっぱりイラストレーターになりたいなぁ、と思って新聞の求人欄でデザイナー募集(見習可)を探しては就職し、また3ヶ月くらいすると辞める、というのを3年間に7回ぐらい続けていました。(最低です。)それを見た兄が、おまえ、そんなに就職すんのん嫌やったら、おれがこんどミナミの宗右衛門町でやるギャラリーを手伝えへんか?と誘ってくれました。ぼくはなんかわからんけど面白そうやな、と思って手伝うことにしました。そのギャラリー「モリス・フォーム」でアーティストやミュージシャンやデザイナーなどいろんな人たちと出会いその人たちのおかげで今もこうして仕事を続けられてるので、あの時兄が誘ってくれたことにはほんま感謝しています。(そのモリス・フォームで出会った人たちのことはまた別の機会に書きたいと思います。) 

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ギャラリーを始めて4年くらいたった頃、兄が、おれ、ロサンジェルスに帰る(?)わ。といってロサンジェルスに帰って(?)しまいました。それから10年ちょっとしてこんどは、やっぱりこれからは日本や!日本で絵を描くわ!といって突然大阪に帰ってきました。(お前は、寅さんか!と思いました)それから10年くらいたった時、今度は、おれ、大阪の家賃高いからバリ島に住むわ!といいました。ぼくは、ふーん、ええんちゃう、というしかありませんでした。バリ島では絵を描きながら絵画教室をしていたみたいです。ぼくは結局最後までバリ島には行きませんでした。(パスポートも持ってへんし) 下の絵は2008年に吉祥寺のトムズボックスという絵本屋さんでやった「ちょっと昔噺」という展覧会のときの絵です。先頭にいるのが兄です。兄はよく、探検に行くで!と言っては近所のこどもを近くの山へ連れて行きました。

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      今回のBGMはアレサ・フランクリンで ‘ ワン・ステップ・アヘッド ’ です。