古い友達からの電話 [雑記]

 大阪の秘境、能勢で「気遊」というカフェをやっている古い友人から「気遊の30周年を記念してフリーなコンサートを服部緑地野外音楽堂でするのでなんか絵描いてくれません?それでTシャツを作ろうと思ってますねん」と連絡をもらった。僕らは昔々( 30年以上前 ) 同じ場所で毎年夏の終わりにフリーコンサートを開いてました。その時も毎回絵を描いて自分たちでシルクスクリーンで刷ってTシャツを作っていました。今回も自分たちでシルクスクリーンで刷るという。「あっ、ええよ、なんか絵の資料で気遊のあたりの写真とか送って」と言いました。それで届いた写真を見てたら、大阪の秘境やからこれは空から見た景色がいいのではと思いました。それで考えました、そうや「google・earth」や。いやぁ、すごいですねgoogle・earthは、大阪の秘境もちゃんとでてきます。そして出来たのがこの絵です。
「えっ、google・earthいる?」なんて言わんとってください。

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 次は、大阪で「ZOO」という名前で長年木工家具を作っていた古い友人が電話してきて「新たに加わったスタッフと『PROP』という木工家具工房を始めるので絵を描いてもらえませんか?」という。聞くと今度は大阪から奈良の吉野町という杉の産地に移るらしい。ええなぁ。「そんで、スタッフ3人と杉の森とか描いてもらえたら嬉しです」というので出来たのがこの絵です。ちなみにこの人は木工をやる前にはシルクスクリーンの工房をやっていて前述のフリーコンサートのTシャツは彼の工房で刷ってました。いくら歳を取っても頑張って前に進んでいく友達がいるのは嬉しいです。僕はどうなるのかなぁ。

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ということで今回はなんか古い友達の話になったのでBGMはクリス・レアのアルバム「オン・ザ・ビーチ」から’ハロー・フレンド’です。




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ミルトン・グレイザーさんのこと [雑記]

先月の6月29日の朝日新聞の朝刊に「 I [黒ハート] N Y」のロゴで有名な米グラフィック・デザイナーのミルトン・グレイザーさんが91歳で亡くなった、という記事が出ていた。
ミルトン・グレイザーさんはイラストレーター・グラフィックデザイナーで1960年代から70年代に同じイラストレーターのシーモア・クワストさんらとニューヨークで「プッシュピン・スタジオ」というデザインスタジオを設立して、イラストレーションを中心にしたデザインで世界中で注目されていました。68年ごろ20歳のぼくは小さなデザイン事務所で見習いとして働いていた時、事務所のデザインの本で初めてミルトン・グレイザーやシーモア・クワストのイラストレーションを見て、えらいカッコええし、なにより面白いなぁー、こんなイラストレーション描きたいなぁー、と憧れていました。

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            そんなミルトン・グレイザーさんを描きました。

72年ごろ兄がやってたギャラリー「モリス・フォーム」を手伝ってた時、ペーパーギャラリー「ジャム・アンド・バター」という新聞を出そうということになりました。この新聞はイラストレーター、画家、写真家、ミュージシャンや詩人などいろんな人に四角い枠(ハガキより少し小さい)が描かれた用紙を送り、なんでも好きなことを描いて(絵でも字でも)送り返してもらい、それらをそのまま載せてしまおう、というものでした。それで何年か前に兄が訪問したことのあるニューヨークのプッシュピン・スタジオのミルトン・グレイザーさんとシーモア・クワストさんにも送りました。売れっ子の二人が返事をくれはるとは期待していなかったのですが、なんとふたりからサラサラと描かれた絵が送られてきました。ぼくらはもう、びっくりするやら感動するやらで大喜びしました。

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これがミルトン・グレイザーさんから届いた絵です。50年近く経っているので紙も灼けてしまってます。

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これはシーモア・クワストさんから届いた絵です。

実は74年ごろぼくはミルトン・グレイザーさんにあっています。その頃兄が少し関わっていた大阪にあったアメリカ文化センターにグレイザーさんが来られるというので連れて行ってもらいました。グレイザーさんはすごい大きな人で、その頃たぶん45、6歳のはずですが頭の方はだいぶ禿げてはりました。ぼくはその頃作ってた「ハローアゲン・タイムズ」という絵と手書き文字のチラシみたいな新聞を恐る恐る、こんなん、作ってます。と言って、グレイザーさんに見てもらいました。するとグレイザーさんは、お前は、シーモア・クワストが好きなんか、そら、ええこっちゃ!と言ってハグしてくれはりました(もちろん、実際は大阪弁やないし、英語ですが、通訳が兄なんで)。その時の写真があるのですが、急にハグしてきはったんで写真撮ってた兄もびっくりしたのか3枚とも全部ブレてました。
ミルトン・グレイザーさん、ありがとうございました。

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今回のBGMはミルトン・グレイザーさんがジャケットのデザインをしているポール・バターフィールドのレコード、「ベターデイズ」の中から’ プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ ‘ です。


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ぼくのたからもの(仮) [雑記]

イラストレーターの大大先輩の灘本唯人さんが7月に亡くなった。90歳だったそうです。すごいなぁ。僕は40歳で大阪から東京に出て来て、50歳を過ぎてからあこがれの東京イラストレーターズ・ソサエティー(TIS)に加えてもらった。灘本さんはそのTISの当時の会長さんでした。初めてTISの総会に緊張しながら出席し、その後に懇親会というのがあって、僕が昔から知っている有名なイラストレーターの人たちの雑談が始まりました。僕の方は絵も顔もよう知ってるけど、誰も僕のことは知らんやろなぁ、と緊張しながらちょっとだけ知ってる関西出身のひとがいたのでしゃべってました。するとそこへ灘本さんが近づいてきて、森さんは関西のひと?と聞いてきはったので、はい、大阪です。今は東京に住んでますけど。と言うと、やっぱり、関西弁はええなぁ、ほっとするわぁ。と言われた。(灘本さんは神戸の人です)それからは灘本さんは僕にはいつも関西弁で話しかけてくれはりました。ほんま、やさしいひとでした。

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そして10年くらい前、あるイラストレーターの個展のオープニングの二次会で灘本さんと和田誠さんと若いイラストレーターや編集者のひとたちと同席になったことがありました。その時、灘本さんは若いイラストレーターと編集者の人(女性)に和田さんの絵について何か説明しょうとしていたみたいで、急に僕に、森くん、和田さんの絵のまねできる?、と聞いてきはったのでぼくはびっくりして、はい、出来ると思います。と言つてしまいました。(なんといってもぼくは和田さんの絵を見てイラストレーターになりたいと思ったんですから)すると灘本さんは店のナプキンとサインペンを出してきはったので、ぼくは和田さんが描くような男の子の顔を描きました。それが下の絵です。
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それを見た灘本さんは、わぁ、森くんうまいなぁ、僕はうまく描けないんや。といいながら、和田くん、森くんは和田くんの絵のまねうまいよ。とぼくがナプキンに描いた和田さん風の絵を見せはりました(えっ、灘本さん、なんちゅうことするんですか、ぼくはドキッとしました)。その絵を見た和田さんは、やっぱりちょっと不機嫌そうに、こんなのちがうよ、と言ってぼくが和田さんを真似た絵の横に和田さんがぼくの描いた和田さん風の絵を描き直してくれはりました。それが下の絵です。
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ぼくは思わず和田さんに、すいません、ちょっとそこにサイン入れてもらえませんか?とお願いしてしまいました。という訳でそのナプキンはぼくの宝物になりました。灘本さんのおかげです。ありがとうございました。それにしても線のきれいさ、形のバランス、やっぱり雲泥の差であります。

という訳で今回のBGMは、ビル・エヴァンス・トリオのアルバム「 ポートレイト・イン・ジャズ」から’ ブルー・イン・グリーン(テイク3)’ です。

緊急告知! [雑記]

福音館書店「こどものとも」7月号の「おとうさんのうまれたうみべのまちへ」(作 小嶋雄二)という絵本に絵を描きました。九州の唐津からバスに乗ってちょっと行った先の呼子という町で毎年6月に行われる「大綱引き」のお祭りを題材にしたお話です。最初に呼子の大綱引きの取材に行ったのは2013年の6月です。足掛け3年かかりました。

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ぼくにとって物語の絵本の絵を描くのは初めてでした。いつもはだいたい一枚の絵で終わることが多いのですが、物語なので場面が次々につながっていくのを描くのに苦労しました。しかし呼子の町並みは魅力的でした。下の絵はその町並みをイメージして描きました。只今、全国の書店で発売中!

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ということで今回のBGMはロッド・スチュワートの ‘ エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー ‘ やけど、そのまんまやなぁ!と言わんとって下さい。



「よしもと」のこと [雑記]

花紀京さんが亡くなった。ちょっと前に季刊「レポ」(http://www.repo-zine.com)という北尾トロさんというひとが編集している、読んでも人生の役に立たないノンフィクションが満載です!などと謳っている変な雑誌の表4の広告のページに絵を描きました。広告主は「山田うどん」という埼玉県を中心におもに関東地方で外食チェーン店を展開している会社である。編集部からは、うどんがテーマであれば何を描いてもいい、ラフも要らないし、スポンサーのチェックもありません、と言われた。うどんがテーマ、と言われてぼくがすぐに思いついたのは吉本新喜劇のうどん屋のシーンである。ごっちそうさん、おばちゃんなんぼ?きつね一杯、360万円!というと周りのみんながこける、あれです。それで花紀京さんを描くことにしました。しかし関東の本屋さんが中心の雑誌で花紀京で大丈夫かなとちょっと心配でした。絵を渡してすぐに編集のひとから、いま、デザイナーに絵を見せてしばし花紀京の話で盛り上がりました!とメールをもらいホッとしました。花紀京さんは東京方面でもマニアックに人気があるらしい。

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花紀京さんが出たのでもうひとりのスター岡八郎さんです。30年くらい前に「只今、ご紹介あずかりました岡八郎でございます。」という本のカバーに絵を描きました。ぼくは、奥目の八ちゃん、くっさーの八ちゃんが大好きでした。飼ってた犬に「はっちゃん」という名前を付けたぐらいです。名前が「はっちゃん」です。動物病院へ行くと、あーら、可愛いですね、この子のお名前は?と聞かれるので、はっちゃんです。と言うと、では、森はちですか?というので、いや、はっちゃん、が名前です。では、森はっちゃんチャンですね?うーん、チャンはいらん、と思います。アグネスチャンみたいなもんです。(チョットちゃうか?)すいませんどうでもええ話です。それ以外にも間寛平さんや西川のりおさんなどの仕事をしたことがあります。

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それよりもっと前には「マンスリーよしもと」というよしもとの広報誌みたいな雑誌の「私の好きな町/MY FAVORITE TOWN 」という毎月芸人さんが自分の好きな町のことを書くページに絵を描いてました。3、4年やってたと思います。その中から私の好きな絵を2点載せます。左は若井こずえ・みどりさん、右は原哲男さんです。どんどん好きだった芸人さんがいなくなりさびしいです。こうしてみると吉本興業には大変お世話になってたんやなぁ、と思いました。

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今回のBGMはよしもとの話なのでほんとは新喜劇の出だしのチャンカチャカチャカチャンチャチャカチャカチャンといきたいところですがあいにく僕のライブラリーにはないのでいちばん似てそうなベニー・グッドマンの " ライザ " にします。ちょっとかっこよすぎたかな。

ときどき親しい友人や知り合いやまったく知らないひとからこのブログにコメントをいただきます。大変嬉しいのですが返事は基本的にしませんのでどうか気を悪くなさらないで下さい。しかしコメントは大歓迎ですぜ。




ブログ始めました。 [雑記]

9月になってちょっと涼しくなったのでブログ始めました。

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