遠くへ行きたい④ [時空の旅]

5月の終わり、久しぶりに大阪へ行きました。一泊二日の旅である。1967年春、母と、駅前の大きなお屋敷の庭先になんか喫茶店みたいなんできるらしいなぁ、と話していた。阪急宝塚線曽根駅前に5月のゴールデンウィークにオープンしたその店は小さな山小屋風の喫茶店で「タンネ」という名前でした。オープンの日、さっそく母と姉を誘って行きました。店内はカウンターとテーブルが3つくらいでしたが小さな庭があってぼくらはそこで珈琲を飲みました。それからは毎日のようにタンネに珈琲を飲みに行くようになりました。店はお父さん(マスター)と娘さん二人(ママさん)とでやってはりとても居心地が良かった。それでぼくはカウンター席に座ってダラダラと世間話をしながら長いときは8時間居たことがあるみたいです。それでウエイターのバイトをしたこともありました。イラストを描くようになってからはメニューを描かせてもらうようになりました。ぼくが初めてイラストを描いてお金を貰ったのはタンネのメニューだと思います。最初は紙や木に描いたりいろいろやりました。木版画をやるようになってからはシルクスクリーン印刷で小冊子のようなメニューを作りました。ぼくが東京へ引っ越してからも個展の時にはお父さん(マスター)はわざわざ見に来てくれました。今でも展覧会をすると二代目のマスター(息子)や何代目かのママさん(末っ子の娘さん)が見に来てくれます。そんな「タンネ」が50周年のイベントでぼくの版画のコレクションを展示してるので見に来ませんか?と誘ってくれたということです。50年は長いなぁ、と思いますが、あっという間やったなぁ、という気もします。

           タンネメニュー.JPG


二日目は午前中にどうしても行っておきたいところがあった。阪急曽根からひと駅宝塚よりの岡町の商店街にある八百屋のケンちゃんのとこである。ケンちゃんはぼくの兄の小学校、中学校の仲のいい同級生である。ケンちゃんはよくぼくの家に遊びに来ていた。兄がアメリカに留学して留守の間もよく夕方にバイクに野菜を積んで母のところに持って来てくれた(そのころ我が家は母子家庭で下宿屋をしていた)。母と兄のことを話したあと毎回決まってぼくに、元気か?相撲取ろか?かかってこい!といってはぼくを投げ飛ばします。ケンちゃんは柔道初段でした。なのでぼくはケンちゃんが来ると、うっとうしいなぁ、と思ってました。でもきっとケンちゃんはぼくが兄が居ないので寂しいやろ、と思って相撲を取ってくれてたんやろなぁ、と思えたのは大きなってからでした。それから結婚して引っ越す時や、その後の2回の引っ越しのたびにケンちゃんは仕入れ用のトラックを快く貸してくれた。いい人である。今回兄のことを話しとかなあかんなと思って尋ねることにしました。店に着いたらぼくの顔を見るなりケンちゃんは、おまえ!早よ言うて来んかい!一週間前に聞いたは!と怒られた。ぼくは兄のことをいろいろ話した。お前の兄貴はほんまオモロイやつやった!そして帰り際にケンちゃんが言った、こんど、夕方来いや!茶でも飲も!と、そうか午前中の八百屋は忙しいんや。えらいすんません!これでぼくの大阪の旅はおしまい。

           八百屋のケンちゃん.jpg

てな訳で今回のBGMはパット・メセニー・グループで ‘ラスト・トレイン・ホーム’です。東京へ出て来て28年たちもう大阪には実家も親兄弟も居てないけれどやっぱり大阪へは、帰る、という気分になりますなぁ。





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