ちょっと昔噺① [昔噺]

兄がバリ島でガンで亡くなりました。ぼくより4歳年上です。兄は20歳過ぎにブラジル丸という移民船に乗って単身アメリカのロサンジェルスに渡りました。そしてカリフォルニアの美術大学に留学して26歳の時に卒業して日本に帰ってきました。その頃ぼくは、イラストレーターになれたらええなぁ、とぼんやり考えながらデザイン事務所の見習いで働くのですが、3ヶ月くらいすると、やっぱり才能ないわ、と思って辞めてしまいます。そして3ヶ月くらいブラブラして、またやっぱりイラストレーターになりたいなぁ、と思って新聞の求人欄でデザイナー募集(見習可)を探しては就職し、また3ヶ月くらいすると辞める、というのを3年間に7回ぐらい続けていました。(最低です。)それを見た兄が、おまえ、そんなに就職すんのん嫌やったら、おれがこんどミナミの宗右衛門町でやるギャラリーを手伝えへんか?と誘ってくれました。ぼくはなんかわからんけど面白そうやな、と思って手伝うことにしました。そのギャラリー「モリス・フォーム」でアーティストやミュージシャンやデザイナーなどいろんな人たちと出会いその人たちのおかげで今もこうして仕事を続けられてるので、あの時兄が誘ってくれたことにはほんま感謝しています。(そのモリス・フォームで出会った人たちのことはまた別の機会に書きたいと思います。) 

           兄と弟.jpg 

ギャラリーを始めて4年くらいたった頃、兄が、おれ、ロサンジェルスに帰る(?)わ。といってロサンジェルスに帰って(?)しまいました。それから10年ちょっとしてこんどは、やっぱりこれからは日本や!日本で絵を描くわ!といって突然大阪に帰ってきました。(お前は、寅さんか!と思いました)それから10年くらいたった時、今度は、おれ、大阪の家賃高いからバリ島に住むわ!といいました。ぼくは、ふーん、ええんちゃう、というしかありませんでした。バリ島では絵を描きながら絵画教室をしていたみたいです。ぼくは結局最後までバリ島には行きませんでした。(パスポートも持ってへんし) 下の絵は2008年に吉祥寺のトムズボックスという絵本屋さんでやった「ちょっと昔噺」という展覧会のときの絵です。先頭にいるのが兄です。兄はよく、探検に行くで!と言っては近所のこどもを近くの山へ連れて行きました。

          探険.jpg  

      今回のBGMはアレサ・フランクリンで ‘ ワン・ステップ・アヘッド ’ です。


     

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kyou

モリス・フォームの話も楽しみに待っております。
そのDM、ながらくトムズボックスの入り口の壁に貼ってありましたね!!
by kyou (2016-05-18 17:12) 

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