ミルトン・グレイザーさんのこと [雑記]

先月の6月29日の朝日新聞の朝刊に「 I [黒ハート] N Y」のロゴで有名な米グラフィック・デザイナーのミルトン・グレイザーさんが91歳で亡くなった、という記事が出ていた。
ミルトン・グレイザーさんはイラストレーター・グラフィックデザイナーで1960年代から70年代に同じイラストレーターのシーモア・クワストさんらとニューヨークで「プッシュピン・スタジオ」というデザインスタジオを設立して、イラストレーションを中心にしたデザインで世界中で注目されていました。68年ごろ20歳のぼくは小さなデザイン事務所で見習いとして働いていた時、事務所のデザインの本で初めてミルトン・グレイザーやシーモア・クワストのイラストレーションを見て、えらいカッコええし、なにより面白いなぁー、こんなイラストレーション描きたいなぁー、と憧れていました。

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            そんなミルトン・グレイザーさんを描きました。

72年ごろ兄がやってたギャラリー「モリス・フォーム」を手伝ってた時、ペーパーギャラリー「ジャム・アンド・バター」という新聞を出そうということになりました。この新聞はイラストレーター、画家、写真家、ミュージシャンや詩人などいろんな人に四角い枠(ハガキより少し小さい)が描かれた用紙を送り、なんでも好きなことを描いて(絵でも字でも)送り返してもらい、それらをそのまま載せてしまおう、というものでした。それで何年か前に兄が訪問したことのあるニューヨークのプッシュピン・スタジオのミルトン・グレイザーさんとシーモア・クワストさんにも送りました。売れっ子の二人が返事をくれはるとは期待していなかったのですが、なんとふたりからサラサラと描かれた絵が送られてきました。ぼくらはもう、びっくりするやら感動するやらで大喜びしました。

           ミルトン・グレイザーの絵.jpg
これがミルトン・グレイザーさんから届いた絵です。50年近く経っているので紙も灼けてしまってます。

           シーモア・クワストの絵.jpg
これはシーモア・クワストさんから届いた絵です。

実は74年ごろぼくはミルトン・グレイザーさんにあっています。その頃兄が少し関わっていた大阪にあったアメリカ文化センターにグレイザーさんが来られるというので連れて行ってもらいました。グレイザーさんはすごい大きな人で、その頃たぶん45、6歳のはずですが頭の方はだいぶ禿げてはりました。ぼくはその頃作ってた「ハローアゲン・タイムズ」という絵と手書き文字のチラシみたいな新聞を恐る恐る、こんなん、作ってます。と言って、グレイザーさんに見てもらいました。するとグレイザーさんは、お前は、シーモア・クワストが好きなんか、そら、ええこっちゃ!と言ってハグしてくれはりました(もちろん、実際は大阪弁やないし、英語ですが、通訳が兄なんで)。その時の写真があるのですが、急にハグしてきはったんで写真撮ってた兄もびっくりしたのか3枚とも全部ブレてました。
ミルトン・グレイザーさん、ありがとうございました。

           ミルトン・グレイザーと僕.jpg

今回のBGMはミルトン・グレイザーさんがジャケットのデザインをしているポール・バターフィールドのレコード、「ベターデイズ」の中から’ プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ ‘ です。


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