ちょっと仕事のはなし [日常茶飯事]

 あっという間にもうクリスマスである。とくに予定もないし師走やのにイヤになるくらい暇である。それならブログでも書こうかなと思ったけどやっぱりとくに書くこともないなぁ、と思てたら郵便受けに友人の日下さんから小冊子が届いていました。
「オリジナリ」というその8ページの小冊子は日下潤一さんのBグラフィックスのあとを継いだ赤波江春奈さんの新生Bグラフィックスが出しているフリーペーパーです。そのVol.5で日下さんが始めた「明朝体の教室」という阿佐ヶ谷美術専門学校で開かれているセミナーのことが特集されていました。そのセミナーのチラシ(Web用)に毎回絵を描いてます。それで僕の絵がいっぱい載っていました。ということで久しぶりに仕事で描いた絵をわーっと載せることにしました。本来はこのブログの裏に「森英二郎のブログのフロク」というのがあってそこで仕事で描いた絵のことなんか載せていたのですが、最近は載せる仕事が少ないのでみんなこちらの「メクソハナクソ」に載せることにしました( さびしーい、きびしーい!)。

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「オリジナリ」Vol.5 の表紙

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セミナーの講師のタイプデザイナーの鳥海修さん(左)と小宮山博史さん(右)

 最初は漢字からでした。漢字の場合は文字を選んだ時点でその字の意味や、元になった象形文字などからだいたい絵のテーマが決まってきます。

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 ひらがなの場合はその文字から思い浮かぶ事を色々アイディアを出し合って決めるのでちょっと楽しいです。「あ」の時は日下さんが、あほボンの「あ」で藤山寛美がええんちゃう、と言って決まりました。しかしセミナーの受講者のほとんどの人が藤山寛美のヒットテレビドラマ「親バカ子バカ」のことを知らなかったそうです。ちなみに「ま」のマッチ売りの少女は赤波江さんのアイディアです。

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今回のBGMはチェット・ベイカーの ’レッツ・ゲット・ロスト’ です。


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散歩の途中 ㉑ [散歩]

 散歩の途中「隅田川の橋」パート2です。パート1の時、若い(ぼくよりも)イラストレーターに「老人の趣味としてはいいんじゃないですか」なんて言はれたけれど、まぁ、ええわ、もうちょっと続けることにします。あの時は蔵前橋まででした。これからどんどん家から遠くなっていきます。
 まずは両国橋から新大橋、清洲橋、そして隅田川大橋まで。家を出て右にスカイツリーを見ながら、四つ目通りで錦糸町まで行き右折して今度は三ツ目通りに出る。この変な通り名にはどんないわれがあるのか知りません。それからどんどん走って東京都現代美術館の手前を右折して清洲橋通りで隅田川まで出て左折すると隅田川大橋である。ここまで6.2km、30分ですがこの辺りには坂道などほとんどないので楽勝です。しかしそれぞれの橋をスケッチしてからまた家までの帰り道は結構ヘトヘトです(やっぱり老人です)。

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両国橋

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新大橋

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清洲橋

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隅田川大橋 
 
 次は永代橋から中央大橋、佃大橋そして勝鬨橋まで。錦糸町の駅前を右折して京葉道路を清澄通りまで行き左折して森下駅前を右折して新大橋通りで隅田川を渡りそのまま新大橋通りを水天宮、茅場町、八丁堀を超えてどんどん行く。左にでっかい築地本願寺が見えたらすぐの交差点を左折して晴海通りをまっすぐ行くと勝鬨橋である。家からここまで8.7km、40分です。いくら坂道がないいうてももうめちゃくちゃしんどいです。

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永代橋

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中央大橋

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佃大橋

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勝鬨橋

川べりに座ってそれぞれの橋をスケッチして家まで帰ったらやっぱりもうへとへとでした。老人の趣味にしてはちょっときついなぁ、と思いました。しかしまだあと東京湾とそれから吾妻橋から上流の橋やおまけの橋などあります。そのうちここに載せますのでお楽しみに。(できるかなぁ)


ということで今回のBGMはハンク・ウィリアムスの’アイム・ソウ・タイアド・オブ・イット・オール’ です。あゝしんど。

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遠くへ行きたい ⑩ ー オレはトム・ハンクスか!ー [時空の旅]

9月のはじめに緊急事態宣言下の大阪へ1泊2日で行ってきました。古い友人たちがやるフリーコンサートを見るためです。不要不急の外出はずっと自粛していましたがこのコンサートは僕にとっては不要なんかではないし、今、行かないと(僕ももう歳やし)二度と見ることができないかもしれないのです。それでもギリギリまで迷っていたのですが、やっぱり、行くことにするわ、と友人に伝えると彼は早速新幹線とホテルがセットになったチケットを送ってくれました。僕は旅行が苦手でこういう段取りがちゃんと出来ないんです。情けないです。
 コンサートは雨が降ったりやんだりでしたが見に来てるお客さんも出演してるミュージシャンもコンサートを作ってる人たちもみんなそれぞれが楽しく時間を過ごしている素敵なコンサートでした。行って良かったと思いました。
 帰りのチケットは、ちょっとでも長いこと大阪に居れるように遅い時間にして、という僕の希望で新大阪駅夜の8時9分発「のぞみ」56号です。それで10時にホテルを出て阪急宝塚線曽根駅前の喫茶店で古い友人たちと待ち合わせて45年前とおんなじアホな話をして、いっぱい笑って、もう、満腹や!と思ってもまだ午後1時半でした。まだまだ時間はあるけどやっぱり緊急事態宣言下やからあんまりぶらぶらするのもあかんなぁ、と思ってたら友人が、早い時間に変更してもろたらええんちゃうのん、できるはずやで、と教えてくれた。それでチケットを見てみると「乗り遅れた場合は自由席であれば後の列車に乗れます」と書いてあったのでもう早めに東京へ帰ることにしました。とりあえず梅田まで出ました。何処かでうどんでも食べて新大阪へ行こう、と思ったけど緊急事態宣言下やのに日曜日の大阪駅は人がいっぱいでした。なんか嫌な感じがしたので、もうこのまま新大阪に行くことにしました。新大阪に着いたらまだ3時半でした。

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 新大阪駅について改札口の駅員に、このチケット早い時間に変更したいんですけど、と言うと、これは前乗りできませんよ、あとの列車には乗れますけど、変更したければ旅行社の方に連絡してください、と言う。えっ!そんなん無理や。そしたらこれでもう一度大阪まで行けますか?と聞いたら、このチケットではダメです、別に購入してください、と言われた。どないしょ、とりあえずなんか食べようと思って構内をウロウロしたけど入りたい店がなかったので、改札口を出たところにある食堂街に行きたいと思って駅員に、あそこに行きたいねんけど?というと、ほんとはダメなんですけど駅の外に出ないのなら特別にハンコ押したげるから、出ていい、と言われました。その時食べたカツカレーの味なんか覚えてません。
  
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 カレーも食べたしとりあえず待合室へ行こうかなと思ってチケットを新幹線の改札に入れたら、ガチャンとバーが閉まりました。駅員が来て、このチケットは時間が早すぎるみたいやね、まぁいいです、入ってください、ただし出たい時は係りの者に言って下さい、と言われた。もう、踏んだり蹴られたりである。というわけで僕は新大阪駅の新幹線の待合室で4時間半を過ごさなければならなくなりました。こんな話トム・ハンクスの映画でなかったかなぁ、あれは空港やったかなぁ。

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 待合室では、僕は本を読むには拡大鏡がいるので読めないし、難聴なのでiPodを聞く時はボリュームをいっぱいに上げていて音が漏れるので他人がいるところではでは聞けません。仕方ないのでちょっとうたた寝したり、周りの人のこと観察したり、隣のスタバは人多いからちょっと先のお客のいないドトールでコーヒー飲んだり、買う気もないのに大阪土産の店覗いたりして構内をぶらぶらしても時間はゆっくりゆっくりしか進みません。もう、出発時刻の20分前にはホームのベンチに座って列車がくるのをただ待ってました。
    
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午後8時9分、やっと「のぞみ」は東京へ走り出しました。なんか長〜い1日やったなぁ。家に着いたら午後11時半でした。旅行社からチケットと一緒に送られて来た、「必ずお読みください」と書かれた書類を確認すると「この新幹線のチケットは乗り遅れた場合は後の列車の自由席には乗れますが、前乗りはできません」と書いてあった。
これからは「必ずお読み下さい」と書いてあったら、必ず読むことにします。

ちなみにコンサートから2週間以上たった先日、友人から、コンサートの出演者、スタッフ、お客さんの中から感染者は1人も出ていません、という連絡があった。良かった、良かった。

ということで長いこと付き合っていただきありがとうございました。今回のBGMはボブ・ディランさんのアルバム「追憶のハイウェイ 61」(1965年)から ’イット・テイクス・ア・ロット・トゥ・ラフ、イット・テイクス・ア・トレイン・トゥ・クライ(悲しみは果てしなく)’です。






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古い友達からの電話 [雑記]

 大阪の秘境、能勢で「気遊」というカフェをやっている古い友人から「気遊の30周年を記念してフリーなコンサートを服部緑地野外音楽堂でするのでなんか絵描いてくれません?それでTシャツを作ろうと思ってますねん」と連絡をもらった。僕らは昔々( 30年以上前 ) 同じ場所で毎年夏の終わりにフリーコンサートを開いてました。その時も毎回絵を描いて自分たちでシルクスクリーンで刷ってTシャツを作っていました。今回も自分たちでシルクスクリーンで刷るという。「あっ、ええよ、なんか絵の資料で気遊のあたりの写真とか送って」と言いました。それで届いた写真を見てたら、大阪の秘境やからこれは空から見た景色がいいのではと思いました。それで考えました、そうや「google・earth」や。いやぁ、すごいですねgoogle・earthは、大阪の秘境もちゃんとでてきます。そして出来たのがこの絵です。
「えっ、google・earthいる?」なんて言わんとってください。

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 次は、大阪で「ZOO」という名前で長年木工家具を作っていた古い友人が電話してきて「新たに加わったスタッフと『PROP』という木工家具工房を始めるので絵を描いてもらえませんか?」という。聞くと今度は大阪から奈良の吉野町という杉の産地に移るらしい。ええなぁ。「そんで、スタッフ3人と杉の森とか描いてもらえたら嬉しです」というので出来たのがこの絵です。ちなみにこの人は木工をやる前にはシルクスクリーンの工房をやっていて前述のフリーコンサートのTシャツは彼の工房で刷ってました。いくら歳を取っても頑張って前に進んでいく友達がいるのは嬉しいです。僕はどうなるのかなぁ。

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ということで今回はなんか古い友達の話になったのでBGMはクリス・レアのアルバム「オン・ザ・ビーチ」から’ハロー・フレンド’です。




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散歩の途中 ⑳ [散歩]

 久しぶりに散歩の途中です。ますます酷くなるコロナ禍と暑さの中でも相変わらずダラダラと散歩してます。僕は散歩の時に音楽は聴かないのでいつもボーッと考え事なんかしながら歩いてます。最近は「イラストレーターてなんやろ?」ということをよく考えます(今ごろ?)。昔ラジオの深夜番組でリリー・フランキーがリスナーの「どうしたらイラストレーターになれますか?」という質問に「私はイラストレーターや!といえばいいんです」と答えてはりました。僕もまぁそんな感じでイラストレーターや、言うてたら、近所の喫茶店のマスターから「メニューになんかイラスト描いてぇー」とかバーをやってる中学・高校の同級生から「名刺とDMに絵を描いてくれへん」とか、「ぼくの出してるフリーペーパーに絵描かへん?」とか「今度レコード出すねんけど、絵描いてくれへん?」とか言われて「ええっ、ほんまにぼくでええのん?」と思いながら、タウン誌や小説誌の文章にイラストを描いたり、表紙の絵を描いたり、本のカバーやCDのジャケットの絵なんかを描いて今日までやってこれました。これはぼくの中ではもう奇跡です。というか僕に絵を頼んでくれる多くの人たちのおかげなんです。感謝、感謝、感謝です。
 ここまで書いてきて、「えっ、ぼく、引退?」自分史みたいになってるやん。違いますよ、僕はイラストを描く時、絵を描いてほしいと言う人がくれるテーマ(お題)にどう答えたら面白いかな、を考えます。まぁ、大喜利みたいなもんです。そんなぼくにお題を出してくれる人がいなくなったらぼくは何を描けばいいのでしょうか(知らんがな!)。
 ということで今日のテーマ「散歩の途中」です。えらい長い前フリですんません。最近は散歩で6000歩以上歩くと帰宅してから疲れがどっと出ます。それで自転車での散歩も取り入れることにしました。自転車ならもう少し遠くまでいけるので、それやったら隅田川に架かる橋をスケッチしょう、と思いました。そしていつか『隅田川と橋』で作品を作れたらええなぁ、と思いこれをぼくの「お題」にすることにしました。

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吾妻橋

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駒形橋

まずは浅草の吾妻橋と駒形橋をスケッチしに行きました。家からは浅草通りで2.3㎞、11分です。

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厩橋

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蔵前橋

次は厩橋と蔵前橋です。2.9㎞、14分。厩橋は橋の端にあるなんというのか知りませんが、欄干の大きくしたようなところが鉄の鎧というか、牢屋みたいでかっこいいのです。

次回は両国橋から新大橋、清洲橋、永代橋あたりまででしょうか、どんどん遠くなり往復すると結構な距離になります。最後は東京湾かな。
この前、若い(ぼくよりもと言う意味)イラストレーターの友人の個展に行った時、「お元気ですか」と聞かれたので「うん、元気やで、散歩がてら自転車で隅田川の橋をスケッチしに行ってんねん、吾妻橋から順番に下流へ行ってんねんけどだんだん遠くなって帰り道ではへとへとや」と言ったら「それは老人の趣味としてはいいんじゃないですか」と言われ複雑な思いをしました。

ということで今回のBGM アル・グリーンの ‘テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー ‘ で暑さを吹っ飛ばそうぜ!ほんまは懺悔の歌で、俺を川に落としてくれ!言うてるらしいけど。




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遠くへ行きたい ➈ [時空の旅]

 相変わらず不要不急の外出を自粛しているが、やはり気になる展覧会などは見てみたいと思う、というわけで久しぶりに散歩以外の外出をしました。
 練馬区立美術館で開催されてる「電線絵画展-小林清親から山口晃まで-」です。明治初期から現代までの電線、電柱が描かれた絵を集めた展覧会ということである。電柱を描くのが好きな僕としては絶対見たいと思い行ってきました。
 僕の住んでる隅田川のこっち側から練馬の方へは地下鉄を3回くらい乗り換えて行きます。片道1時間半以上かかりました。遠いなぁ、そして久しぶりに乗った地下鉄は思ったより人が多かったです。この前に乗ったのはいつやったか忘れてしもたけど、もうちょっと空いてたような気がしました。
 展覧会のテーマが電線と電柱なんで、絵は木版画もあれば大判錦絵、石版画に水彩画や油絵や日本画や漫画もある。サイズも木村荘八のハガキ大くらいの新聞小説「濹東綺譚」の挿絵から佐伯祐三の50号くらいの油絵「下落合風景」までいろいろあってめっちゃ面白かったです。
ちなみにこのチラシの絵は小林清親の『従箱根山中富嶽眺望』明治13年 (1880)大判錦絵 です。
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 僕も風景の中に電柱を描くのが好きというか、電信柱を描くとなんとなく絵が締まって落ち着いたような気がするのです。しかしそれで失敗したこともあります。だいぶ前のことですがカレンダーで文学作品をテーマに6枚の絵を描くという仕事でした。それで国木田独歩の「武蔵野」のための絵を描いた時、遠く地平線の向こうに電線と電柱を描きました。ところが絵を渡してしばらくたった時、デザイナーから「あのぅ、先ほどスポンサーさんから連絡があり、国木田独歩の「武蔵野」の時代(1898年、明治31年)にはまだこの辺りには電気は通ってなかったのではないか?というクレームが入りました、やり直す時間もないので印刷所の方で電線と電柱をとってもらうことにしますが、いいでしょうか?」という話でした。「はい、すいませんよろしくお願いします」と言いました。恥ずかし。これがその原画で電線と電柱が描かれています。
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 ということで小林清親や川瀬巴水と比べるのは恐れ多いのですが、電線、電柱が描かれている僕の絵をいくつか載せてみました。「僕の電線木版画編」です。古いものは1996年から新しいものは2017年です。
 まずは川本三郎さんの「荷風と東京」の装画です。隅田川沿いの昭和のはじめの下町の風景をイメージして描きました。遠くに見えるのは清洲橋です。
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 これは小説新潮の表紙絵です。都電荒川線の面影橋駅です。
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  これも川本三郎さんの「林芙美子の昭和」の装画です。林芙美子が暮らしていた昭和の落合をイメージして描きました。遠くに見えるのは新宿の街です。
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 こちらは川本三郎さんの「芸術新潮」誌での連載「言葉のなかに風景が立ち上がる」のなかの重松清の「定年ゴジラ」についての文章のための挿絵です。多摩ニュータウンをイメージして描きました。
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 これは青山にあるビリケンギャラリーでの企画展「私のセンチメンタル通りーはちみつぱい・トリビュート」のために描いたものです。
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これは大阪の伝説の野外コンサート「春一番」のポスターです。西岡恭蔵さんの「春一番」という歌をイメージして描きました。
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 最後は永井荷風の「濹東綺譚」を1枚の漫画風に描いてみました。木村荘八の挿絵を参考にした絵があります。
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今回のBGMは大阪の野外コンサートのライブアルバム「春一番スペシャル・セレクション- 地球は皮をはいだ」の中からはちみつぱいの「へいの上で」です。


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テレビ三昧 その⑤ またまたプレミアムシネマ [日常茶飯事]

 なかなか終わりの見えない新コロ禍で外出自粛が続き相変わらずテレビ三昧の日々である。そんな3月にNHK BSのプレミアムシネマでまた「ダーティハリーシリーズ」を1から5まで毎週木曜日に放映いていた。ここのディレクターもよっぽどダーティハリーが好きなんかな。で、ぼくはまた全部見てしまいました。そんな中「ダーティハリー2(原題 MAGNUM FORCE 1973年)」がやっぱり面白かった。法で裁かれない悪者たちを次々に処刑していく4人の若い白バイ警官とその上司を「それはちょっとちゃうやろ!」と対決するハリー・キャラハン刑事である。今までにもう何回も見てるのですが、今回気になったのは「クルマ」です。ストーリーが白バイ警官なのでサンフランシスコの街をクルマで走るシーンが多いのですがそこに映るクルマがどれもいい感じなんです。アメリカのクルマと言えば50〜60年代のあのテールフィンとか言う後ろがピューンと跳ね上がった派手なのもかっこいいですがこの映画に出てくる70年代のクルマもどれもかっこいいんです。

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 まずはキャラハン刑事とその相棒が乗るサンフランシスコ市警の車。ぼくは車についてはあまり詳しくないので車種はわかりませんが、このグリーンの色が70年代ほくて良いです。キャラハン刑事は荒っぽい捜査をするので警察の車や他人の車や店舗などいっぱい壊すので、弁償代がかかつてしょうがない、といつも上司に怒られてます。


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 次は黒人の売春婦がホテルの前で順番を無視して割り込んで乗るタクシー。ピンハネしたお金を胸や股に隠すのをバックミラー越しに覗く運転手がいいです。その後、売春婦の元締めの黒人が乗り込んできてピンハネしてるのがバレて女は車の中で殺されてしまい、運転手は車をほったらかして逃げてしまう。車はなんとなくおとなしい感じがフォード・ファルコンかな?分かりません。


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 次は売春婦を殺した黒人の元締めが乗ってるピンクのでっかい車。リンカーン・コンチネンタルやろか?めっちゃ改造してあるみたいで分かりません。次に白バイ警官が狙う標的です。車をゴールデン・ゲイト・ブリッジの下で停車させられ免許証を見せるように、と言われた元締めがピストルを出そうとした瞬間いきなり頭を撃たれてしまう。車の中に敷いてある白いカーペットが血で真っ赤に染まる。こわっ!。


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 次の港のギャング、パランシオ一家が乗るのはキャデラック・フリートウッド・ブローハムかな? キャラハンと相棒はこの車の尾行をするように命令される。尾行に気づいたパランシオ一家は先に行けと車から手で合図する。キャラハンは車の横に並び運転してる手下に言う、「失礼、ちょっと教えてくれへん?道に迷ってん、サンクエンティン(刑務所)へはどう行けばええのん?」「もう、とっくに通り過ぎてるで」「ほんまかいな、あんたらが知ってるかどうか試したんや、ほな!」と言って走り去る。かっこいい!



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 最後はハリー・キャラハンの車です。警察車両と同じ車種みたいですが、こちらはコンバーチブルです。この「ダーティハリー2」では同じアパートに住むアジア系の女の子(かわいい)と仲良くなったりして珍しくハリー・キャラハンの私生活がよく出てきます。この車でアパートに帰ってきたところ地下の駐車場に白バイ警官たちが待ち伏せていて、事件から手を引けと脅される。不審に思ったキャラハンはアパートの郵便受けでプラスチック爆弾を発見する。大急ぎで相棒に連絡しようとするが間に合わず相棒は爆死してしまう。ここから、ハリーと白バイ警官と上司との壮絶な戦いが始る・・・。あ〜、面白かった。


ダーティハリー・シリーズの音楽はすべてラロ・シフリンというひとです。シャカショコ、シャカショコとカーチェイスにはバッチリで70年代を感じさせます。僕のipodにはラロ・シフリンはないので今回のBGMは72年公開の黒人映画「スーパーフライ」のサントラからカーティス・メイフィールドの「スーパーフライ」です。


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誕生日 [日常茶飯事]

 2月のある日、相変わらずいつものようにぶらぶら川沿いを散歩してる時「アー、今日はヨメさんの誕生日やった」事を思い出しました。我が家は誕生日とか結婚記念日とかいつも別に何もしません。「今日、結婚記念日ちゃうか?」「ほんまや、何回めやろ?」「さぁ、知らんわ、45、6回目くらいちゃうか」とか、「今日、キミの誕生日ちゃうか?」「へぇ、よう覚えてたなぁ」「幾つになったんや」「さぁ、覚えてへんわ」「ほんまかいなぁ」いつもこんな感じです。しかしその日は、なんかケーキでも買うといたろかなぁ、と思ったのです。それでポケットに手を突っ込んだら百円玉が3枚と十円玉が8枚しかありませんでした。 

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 しかたないので近所のスーパーに寄ってちょっと高めの(といっても税込み300円ちょっとやけど)チョコレートを買って帰りました。せっかくなんでヒモみたいなので形だけのリボンをかけました。
「今日誕生日やろ、これプレゼントや、ほんの気持ちや!」「ほんまに気持ちだけやなぁ、まぁ、でも、おおきに」とちょっとだけ喜んでくれました(と思う)。

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 それから2週間後、今度は僕の誕生日です。「今日はぼくの誕生日やわ」「わかってるよ、そこにプレゼント買うてあるやろ」「えっ、どれ?」振り返って見ると、いつも1週間分の食料といっしょに買う1週間分のおやつの上にちょっと大きめの箱のチョコレートがのっていました。

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「これかいな、大きい箱やなぁ、チョコレートにはチョコレートやな」と手にとって見ると箱の上に「30%OFF」のシールが貼ってあった。「おいっ、30%OFFのシールが貼ったぁるやんけ、バレンタインデーの売れ残りちゃうんかぁ!おめでとうの気持ちも30%OFF!ちゅうことか!」と心の中で叫んだけど、思いなおして、まぁ、誕生日が30%OFFやったらぼくはまだ50歳代ということになる、まだまだ頑張れるんや、ということにしました。「覚えててくれて、おおきにやで!」

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            ★この話はフィクションではありません。事実に基づいて書かれています

 ということで今回のBGMはボブ・ディランのアルバム「タイム・アウト・オブ・マインド」の中の『メイク・ユー・フィール・マイ・ラブ』です。このころディランは50歳代後半で30%OFF のぼくと同世代です。



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テレビ三昧 その④ プレミアム シネマ

 まだまだ続く緊急事態宣言下、ぼくの生活はすべて不要不急なので相変わらず家でテレビばっかり見ています。前回の「テレビ三昧その③」を書いたのは去年の5月でした。えぇーっ、もう1年近くテレビばっかり見てるやんか(まぁ、その昔11歳の時に我が家にテレビがきてからほぼ60年ぐらい見続けてるけどね)。いつもだいたい午前中はワイドショーなんかをつけっぱなしで、午後は2時間ドラマや映画を見たりしています。そんな中NHKのBSプレミアムでは平日の午後1時から「プレミアムシネマ」というのを毎日やっていて、洋画のちょっと面白そうなのをやってくれるのでよく見てます(ときどき邦画もやってます)。

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 この前1月21日の新聞のテレビ欄を見てたら(毎日このページを朝から晩までチェックしてその日の予定を決めてます)1時から「勝手にしやがれ」と書いてある、おっ、これはジャン・ポール・ベルモンドのやつや、ゴダールや、見なあかんやろ。と思ってその下を見たら、続けて2時31分から「ギターを持った渡り鳥」と書いてある。ええっ、いつもは映画1本だけやのに続けてもう1本、2本立て?それも小林旭?渡り鳥?この2本を続けてやるというのはなんか意味があるのやろか。まぁ、両方とも主役は得体の知れない破天荒な若者やし可愛い女の子も出てくるけど・・・。

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 いろいろ考えて調べてみたら、ひとつ共通点がありました。この2本の映画はどちらも1959年(昭和34年)制作です。関係ないかな、わかりません。同じ時期のヨーロッパと日本の若者の映画、だいぶ雰囲気は違うけど2本とも面白かったです。どちらかといえば僕は小林旭の「ギターを持った渡り鳥」のほうが好きです。なんといっても小林旭の「渡り鳥シリーズ」はリアルタイムで4つ上の兄に連れられて全部観てますから、たぶん。ちなみに2月22日のプレミアムシネマは「卒業」と「スケアクロウ」の2本立てでした。こちらはなんとなくわかるような気がします。

今回のBGMは1958年ブルーノート・レコードから出たジャズピアニストのソニー・クラークのアルバム「クール・ストラッティン」です。


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遠くへ行きたい ⑧ [時空の旅]

まだまだ続く新コロ禍の中、久しぶりに東京駅に行きました。といってもGO TO トラベルとかいうので何処かへ旅行に行ったわけではありません。東京ステーションギャラリーに『もうひとつの江戸絵画・大津絵』展に行ってきました。めっちゃ面白かったです。
大津絵とは江戸時代初期に東海道の大津周辺で作られていた土産物だそうです。型紙や版木押し(スタンプ)でだいたいの絵を作り手彩色で仕上げる。簡単で大量に作れるので安価で気軽に買えると、お伊勢参りなどの旅人に土産物として人気があったようです。絵柄は仏画や戯画から風俗画、教訓画、そして護符といろいろあります。たとえば裸の鬼が風呂に入るところが描いてある絵はタイトルが「鬼の行水」で「身体の汚れは落とせても、心の汚れを落とせない」というようなことが絵の周りに書いてある。同じ絵柄でもちょっとづつ違う絵がいろいろあって、その素朴でユーモラスで美しい絵に魅せられた明治以降の画家や文化人や目利きたちが競って収集したらしい。ただなんせ安物の土産物なんで残っているものが少ないらしく、今回の展示ではその絵の持ち主や誰から譲り受けたのかという履歴が書いてあるのがおもしろかった。例えばある絵は渡辺霞亭から何人か続いて最後に柳宗悦とか、ある絵は梅原龍三郎から始まって最後は小絲源太郎というように。あー、面白かった、と出口のところに行くと「大津絵を作ってみましょう」(お一人様1枚まで)と一部分が欠けている大津絵が3点印刷されたシートが置いてあった。下の絵は顔と手をぼくが描いて色を付けました。この絵のタイトルは「鬼の念仏」で、子どもの夜泣き除けに使われたそうです。

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ということでぼくもなんか大津絵みたいな絵を描いてみたくなり、いろいろ考えてこんな絵になりました。この絵はもともとぼくの高校の時の同級生で大阪のミナミで長年バーをやってる友人の2006年・戌年の年賀状のために描いたものを大津絵風にアレンジしたつもりやけどぜんぜんうまくいきませんでした。あかんなぁ〜。余談ですがこの友人のバーの年賀状を初めて描いたのは1979年で、いまもずっと描いてます。長く続けてたらええちゅうもんでもありませんが、この年賀状は、みんなにえらい受けたでぇ〜、と喜んでくれました。

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今回のBGMはスティーヴィー・ワンダーの1974年のアルバム「ファースト・フィナーレ」から ‘ 1000億光年の彼方 - Heaven Is 10 Zillion Light Years Away ‘ です。



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